新幹線から路線バスへ乗り継ぎ、一時間半──
一竜とセイバー、そして二人に気付かれぬよう尾行を続ける凛を乗せたバスは、静かに目的地へ向かって走っていた。
市街地を抜けてしばらくは、住宅街や商店が続く穏やかな景色も、目的地が近付くにつれ、車窓の色はゆっくりと変わり始める。
視界いっぱいに広がる青々とした田畑や夏風に揺れる稲穂、そしてところどころに残る里山の緑。
現代の街並みと自然が穏やかに溶け合うその風景を見つめながら、セイバーは思わず窓へ身を寄せた。
「一竜殿……。」
その声音には、隠し切れない高揚が滲んでいる。
一竜も微笑みながら窓の外へ視線を向けた。
「この辺りが、昔でいう井伊谷の周辺だよ。」
その一言だけで、セイバーの瞳が静かに揺れる。
目の前へ広がる景色を、一つひとつ確かめるように眺めながら、小さく息を漏らした。
「……なるほど。 現代の建物が立ち並びながらも、これほど豊かな田畑が残っているとは……。 故郷とは、こうして時代を越えて姿を変えるものなのですね。」
その表情には戦場で見せる鋭さはなく、一人の人間として故郷へ帰ってきた者だけが浮かべる柔らかな笑みがあった。
生前には決して見ることのできなかった未来──英霊となったからこそ辿り着いた、数百年後の遠江。
やがて消える身だからこそ、この景色だけは心へ刻み付けようと言う静かな決意が、その横顔には宿っていた。
その様子を、少し離れた最後部座席でミルクティーを飲みながら見守る凛もまた、静かに昔を思い返していた。
「(……やっぱり違うわね。)」
脳裏へ浮かぶのは、七年前の第五次聖杯戦争のこと。
あの戦いで召喚された英霊たちの多くは、遠い異国の英雄だった。
一部のサーヴァントを除けば、この日本を故郷と呼ぶ者はいない。
まして本来の聖杯戦争は、多くの場合は二週間程度で決着する。
英霊が故郷を訪ね歩く余裕など、本来存在しない。
今はこの新制度だからこそ、一般人がマスターとなり、数か月にも及ぶ戦いとなり、こうして英霊が自らの故郷を歩ける。
皮肉ではあるが、それだけは少し羨ましくも思えた。
『次は──井伊谷神宮寺。 井伊谷神宮寺です。』
車内へアナウンスが響き、二人は顔を合わせた。
「セイバー。 次だよ。」
「えぇ。いよいよですね。」
セイバーが嬉しそうに頷く様子を見て、凛も一人納得する。
「(……やっぱり。 連れて行きたい場所は、そのあたりなのね。)」
彼女は既に、事前に売店で買っていたこの周辺の紙の地図を頭に入れている。
だからこそ、一竜がどこへ向かうつもりなのか、大凡の見当はついていた。
やがてバスが停車してドアが開き、数人の乗客と共に一竜とセイバーが降車した。
「ここが……。 現代の遠江。」
ゆっくりと周囲を見回すセイバーのその一言には、何百年もの時を超えた重みがあった。
一竜はそんな彼女へ笑いかける。
「まだ旅は始まったばかりだよ。 旅館のチェックインまで時間もあるし、まず最初の目的地へ行こう。 そんなに歩かない場所だし。」
「承知しました。」
セイバーは静かに頷きながら一竜の隣へ並び、スマートフォンの地図を頼りに北へ向かって歩き始めた。
その数十メートル後方で、凛は人の流れへ紛れながら、慎重にバスを降りる。
東京駅ほど人が多くない故に、尾行はむしろ難しい。
不自然にならない距離を保つだけでも一苦労だった。
例の紙の観光地図を広げ、いかにも観光客を装いながら後を追う。
「……なるほど。 やっぱり、最初はそこへ行くのね。」
目的地を察すると、思わず微笑みながら、キャリーケースへ視線を落とす。
中には替えの服と変装道具が入っている。
「(まだ着替えなくても平気かしら。 というか……ここまで気付かれないって、それはそれで問題なんじゃない?)」
前を歩く二人を見つめ、凛は肩を竦めた。
監視対象が鈍いのか、尾行する自分が上手いのかそんな──小さな苦笑を浮かべながら、凛は再び二人の後を追い始めた。
夏風が田畑を渡り、草木を優しく揺らしていく。
その風に迎えられる様に、一竜とセイバーの小さな旅は、いよいよ故郷の中心へと歩み始めた。
歩み始めてから僅か数分のこと──
辿り着いた先には、浜松市地域遺産センターと言う市営の建物があった。
「一竜殿。 この建造物は私に所縁のあったもので御座いますか?」
「あぁ。 直接はないけど、まぁ入ってみたらおもしろいと思うな。 ここが最初の懐かしくも新鮮でもあるとこだし。」
「左様でございますか。 楽しみです。」
そうして二人は穏やかな表情で遺産センターの入り口を潜って行った。
当然、距離を離して尾行していた凛がその光景を見逃す筈がない。
「やっぱり遺産センターだったのね。 流石、中々にいいチョイスじゃない。」
手に持っていた地図をポケットに仕舞うと、凛も遅れて入り口を潜る。
入ったそのすぐ先には、巨大な笛の顔出しパネルが佇んでいた。
それだけでなくセイバーの視線の先には、白い頭巾を纏い虎耳と尾を愛らしくあしらわれた少女のキャラクターの等身大パネルがあった。
「……これは。」
しばし言葉を失った彼女を見て、一竜は笑いながら応える。
「あぁ。 この町で一番セイバーに近い存在。」
その言葉だけで充分に説明は要らなかったのか、セイバーは静かに微笑んだ。
「そうですか……。 この時代にも、私は生き続けていたのですね。」
その表情はどこか誇らしげであり、穏やかにパネルを眺めていた。
「ここで見せたいのはまだこれだけじゃないぞ。 これからがおもしろいんだよ。」
「えぇ。 何やら心が踊ります。」
そうすると、二人は階段を登って二階の展示室へと足を運んだ。
当然、距離を置いて凛がその後をついて行ったのは言うまでもない。
展示室を訪れた一竜とセイバーは、とある展示物の前で足を止めた。
それは、歴史の文献などを参考に作られた、井伊谷城のジオラマだった。
石垣も、曲輪も、館も、完全ではないのだが、セイバーは思わず息を呑んでいた。
確かにそこには、自らが歩いた城があった。
「あそこは……。 本来はこちらに櫓がございました。」
セイバーは思わず指が動き、一竜は驚きながら聞く。
「やっぱり違う?」
「えぇ。」
そう笑いながらも、その瞳はどこか懐かしそうだった。
城下の真の姿を知るセイバーにとっては、これこそが懐かしくも新鮮でもある様にも見えた。
「まだまだあるぞ。 次はあの井伊谷戦国絵巻ってやつだ。」
「……! そんなものまであるのですか!?」
一竜が指を差したその先にあったのは、プロジェクトマッピング形式で紹介されている歴史の説明だった。
映像が始まると、戦乱の中での井伊谷の人々、そして一人の女城主が映され、セイバーは一瞬だけ息を止めた。
「これは……。」
そこにあるのは、史実という名の記憶━━即ち、本人だけが知る真実だった。
脚色もあり、誇張もあるが、それでも彼女は小さく笑う。
「どう? これこそ一番懐かしいし新鮮だろう?」
「えぇ。 美化はされておりますが、よくここまで 残して下さいました。」
目を輝かせて一竜に語るセイバーは、どこか興奮が覚めきらない様子だった。
その姿に思わず一竜も表情がゆるむが、人知れず隅で隠れて様子を眺める凛ですら思わずほっこりとした表情を浮かべていた。
「じゃぁ、少し館内を回ったら、次のところへ行こうか。 昼ご飯はそれからでもいいか?」
「えぇ、そうしましょう。 次も私に所縁のあるところでしょうか?」
「ふふっ……さぁな。」
どこか微笑ましい様子を見せる二人を目に、凛はこそこそをキャリーバッグを転がしていた。
「(服装を変えるなら今の内ね。)」
そのまま女子トイレへ飛び込み、数分の内に帽子や上着やバッグと、全て着替え終えた。
そうしている内に、二人は地域遺産センターを後にしていた。
「ここから次の場所までは十分はかかるな。」
「えぇ。 この地を踏みしめられるなら、長き道のりでも光栄です。」
「そうか。 じゃぁ、遅くなる前に行くか。」
二人が敷地内を背にしばらく歩いたのを目に、服装を変えた凛が遺産センターの入り口を潜って外へ出た。
「その方向から見るに、次の場所はもう掴めたわよ。」
程なくして、凛も二人の後を追う様に敷地内を後にした。
本人だけは、この着替え作戦は完璧と思っていたが……。
館内の職員は
「あの人、着替えてたんだ……。」
という顔で見送り、観光客は
「あの人さっきバスにもいたよね? 着替えてたんだ。」
という目で眺めていた。
尾行対象には一切気付かれないが、周囲全員には怪しまれる。
ある意味、あらゆる事を卒なくこなせるが、ここ一番で失敗する遠坂凛らしい尾行であった。
それから十分程歩いた頃──
木々の葉擦れが心地よく響く坂道を抜けると、その先には幾段もの石段と、時を重ねた山門が静かに二人を迎えていた。
山門の向こうには、変わらぬ静寂を湛えた寺院が佇んでいる。
セイバーはその姿を認めた瞬間、思わず足を止めた。
「一竜殿……。 この地に寺院があるということは──もしや。」
驚きと懐かしさが入り混じったその声に、一竜は静かに頷く。
「ああ、ここが龍潭寺だよ。 勿論何百年も経ってるから、当時そのままじゃないとは思うけど、きっと来る価値はあると思ってさ。」
その言葉を聞いたセイバーは、ゆっくりと山門を見上げた。
「……龍潭寺。」
幼き日──剃髪し、尼として日々を送り、筆を握り、経を唱え、己を律することを学んだ場所である。
建物も庭も変わり、木々も代替わりしただろう。
それでも、この場を包む静かな空気だけは、あの頃と少しも変わっていない様に思えた。
「この時代にも、龍潭寺が在り続けているのですね……。」
自然と頬が綻ぶその表情は、英霊としてではなく、一人の少女だった頃の記憶が呼び起こした笑みだった。
すると一竜は境内案内板へ目を向け、何かを見つけた様に声を上げた。
「セイバー、今日は写経体験やってるって。 確か、得意だったよな?」
その一言だけで、セイバーの表情がさらに明るくなる。
「誠でございますか。 それでしたら、是非体験させていただきたいです。」
「よし、行こう。」
その嬉しそうな返事に、一竜も思わず笑みを零した。
二人は山門をくぐり、本堂前で拝観受付を済ませると、写経体験が行われている一室へ案内された。
「ようこそお越し下さいました。」
柔らかな物腰の僧侶が、二人へ一礼する。
「まず、こちらのお経をご覧いただき、ご一緒にお唱えください。」
「承知いたしました。」
「よろしくお願いします。」
二人は席へ着き、経本を手に取る。
一竜は文字を追いながら慎重に読み始めた。
一方、セイバーは自然と背筋を伸ばし、静かに合掌する。
「──。」
その読経は淀みなく、歌の様に美しかった。
一文字一文字が静かに響き、部屋の空気へ溶け込んでいく。
まるで、この寺で何年も修行を積んだ者だけが持つ呼吸だった。
僧侶も思わず顔を上げる。
「……お上手ですね。」
セイバーは柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。」
そして、その驚きは写経が始まってからさらに大きくなる。
硯へ墨を含ませ、筆を持つ。
その瞬間、空気が変わった。
姿勢、筆の運び、呼吸──どれ一つとして無駄がなく、静寂だけが部屋を満たしていく。
幼き日より、この龍潭寺で積み重ねてきた修行の歳月は、一本の線となって紙へ刻まれていた。
僧侶は思わず感嘆の息を漏らし、穏やかにセイバーに声をかける。
「……素晴らしい。 読経だけでなく、写経までこれ程とは。 お見事です。」
「恐れ入ります。」
セイバーはどこか照れくさそうに頭を下げた。
その横では、一竜も真剣な表情で筆を走らせている。
決して字は汚くないが、丁寧に書こうとするあまり、筆が止まり、少し戻り、また進む。
セイバーが半紙を書き終える頃になっても、一竜はまだ半分ほどだった。
「……難しいな。」
思わず苦笑する一竜を見て、セイバーは思わず小さく笑った。
「されど、とても丁寧に書かれておりますよ。」
「慰めになってない気もするけど。」
顔を見合わせて小さく笑い合う二人を、僧侶が微笑ましく眺めていた。
写経を終え、静かな余韻を胸へ残したまま境内へ戻る。
「一竜殿。 心が澄んだ様な気が致します。」
「それなら来た甲斐があった。」
穏やかな笑みを浮かべたセイバーを見て、一竜は満足そうに頷いた。
「実は、もう一つだけ見せたい場所があるんだ。」
「まだあるのですか?」
「この敷地内の中だよ。」
二人は境内案内図を確認しながら、本堂の裏手へ歩いていく。
木漏れ日の差す細道の中、開山堂を過ぎた先に、静かな墓所が姿を現した。
幾つもの墓石が整然と並ぶ中、一竜は足を止める。
「ここ。」
静かに指差した墓石を、セイバーが見つめる。
「……一竜殿、この墓標は……。」
「ああ。 左側の奥から二つ目──それがセイバーのお墓。 近くには許嫁のお墓もある。 一族のみんなも、ここで眠ってるんだ。」
セイバーはしばらく何も言わず、静かに墓前へ歩み寄り、石へ刻まれた文字を見つめる。
自らの名、生きた証、死後何百年もの歳月を越え、今なお守られ続けているという事実に、胸の奥で何かが静かに満たされていた。
「この時代でも、この様に丁重に守っていただけるとは……。 しかも一族皆と共に。 不思議な心持ちです。」
ようやく漏れた声は、とても穏やかだった。
英霊だからこそ、自分自身の墓前へ立つことができる──それは奇跡にも等しい時間だった。
墓石へ静かに一礼すると、セイバーは目を閉じた。
かつて共に笑った者、戦った者、別れた者──その面影が、一瞬だけ胸へ浮かんでは消えていった。
一竜はその様子を見守り、少しだけ苦笑する。
「……ちょっとしんみりしちゃったな。 一旦昼ご飯にしよう。 最後に、もう一つだけ見せたい場所があるからさ。」
「えぇ。 そろそろ、その頃合いですね。」
セイバーは微笑みながら頷くき、最後にもう一度だけ墓所を振り返る。
そして一竜の隣へ並び、静かに山門へ向かって歩き始めた。
その一部始終を、木陰から見守っていた凛は、小さく息を吐く。
「(……まったく。 聖杯戦争の真っ最中だっていうのに……なんて、野暮よね。)」
セイバーのあの穏やかな笑顔を見てしまったからには、これ以上の苦言を並べるのは止めようと思った。
七年前の第五次聖杯戦争──自分も、かの級友も、それぞれのサーヴァントにこんな時間を作ってあげる余裕は、最後までなかったからこそである。
「(今くらいは、浸らせてあげなさいな。 戦いが始まってしまえば、もう戻れないんだから。)」
凛は帽子のつばへ軽く触れ、小さく笑う。
そして何事もなかった様にキャリーケースを引きながら、再び二人の後を追い始めた。
その姿が、通りすがりの観光客から「さっきからこそこそしてる人だ。」と不思議そうな目で見られていることには、最後まで気付かぬまま──