キャスター陣営とライダー陣営が激突してから、数日後の昼下がり──
夏の陽射しが窓越しに畳を照らし、アパートの一室を柔らかな光で満たしていた。
一竜はちゃぶ台へ教科書とノートを広げ、大学の講義に備えて黙々と自主学習を進めている。
一方のセイバーは、PCデスクの前で動画投稿サイトを開き、現代剣道の試合映像や剣術、果てはボードゲームの解説動画まで食い入る様に眺めていた。
いつもと変わらぬ穏やかな午後だが、その静けさとは裏腹に、二人の胸中は少しも穏やかではなかった。
聖杯戦争は、確実に終局へ近付いている。
ライダー陣営との戦闘報告を受けて以降、その実感は日に日に強くなっていた。
一竜のページをめくる手が止まり、セイバーの動画を再生していた指先も止まる。
ほとんど同時に顔を上げた二人は、互いに小さく苦笑すると、示し合わせた様に立ち上がって台所へ向かった。
一竜は戸棚から煎餅の袋と器を取り出し、手際よく盛り付け、その横ではセイバーが急須へ多めの茶葉を入れ、電気ポットから静かに湯を注いでいた。
立ち上る湯気が、張り詰めた空気を少しだけ和らげる。
「セイバー……やっぱり、なんだか落ち着かないな。」
煎餅を並べながら一竜が呟き、セイバーは急須へ蓋を乗せて蒸らし時間を待ちながら穏やかに頷いた。
「一竜殿のお気持ち、よく分かります。 最早、いつ決戦が訪れても不思議ではありません故。」
その言葉は重いが、二人の動きには無駄がなく、いつも通りだった。
だからこそ、その日常を守ろうとする意志が伝わってくる。
「聖杯戦争に勉学……常に気を張り続けていては、心も身体も持ちませぬ。 どこかで息を抜く時間も必要でしょう。」
「そうなんだけどさ……。 聖杯戦争は命懸けだし、自主学習をサボれば今度こそ単位が危ないし。 どっちも手を抜けないんだよなぁ。」
肩を竦めながら見せる苦笑には、学生らしい現実味があった。
命を懸けた戦いと、大学の単位──天秤に掛けるまでもない筈なのに、どちらも彼にとっては未来に関わる問題なのである。
思わずセイバーも小さく笑みを漏らした。
「学生もまた、一つの戦場なのですね。」
「案外そうかもしれない。」
そんな他愛ない会話を交わしながら、一竜は器を持ち、セイバーは氷を入れたグラスへ濃いめに淹れた緑茶を注ぐ。
夏らしい冷茶が完成したところで、二人は居間へ戻った。
すると、その目線の先には──
「ねぇ、凛さん。 七年前も学生と聖杯戦争の両立って、こんな感じだったんですか?」
ちゃぶ台の前には、いつの間にか凛が当然の様な顔で座っていた。
いつも当たり前の様に彼女に茶を汲むセイバーは兎も角、最早一竜も驚かない。
いつからいたのか、どうやって入ったのか──それを気にする者は、この部屋にはもう存在しなかった。
問題の凛本人も、煎餅を一枚摘まみながら、実に自然な調子で答える。
「そうね。 魔術師ってね、案外やること多いのよ。 あと、お邪魔してるわよ。」
「もう事後報告ですし、『お邪魔』ってレベルじゃないですよね。」
「細かいこと気にしない。」
最早この部屋は、一竜の家でありながら凛にとっても半ば第二の拠点になりつつある。
セイバーもいつも通り何事もなかったかの様に冷茶を差し出した。
「どうぞ、凛殿。」
「いつもありがと。」
氷の鳴る音だけが静かに部屋へ響く。
冷えた緑茶を一口飲み、凛は一竜へ視線を向けた。
「でもね、セイバーの言う通り、いつまでも張り詰めてたらその内自分が壊れるわよ。 一竜くん、アンタって最初っから考え込みすぎるから、心の贅肉がどんどん付くのよ。」
「あはは……昔からそうなんですよ。」
「だからこそ、少しくらい遊びなさい。」
凛は煎餅をぽりぽりと齧りながら、頭を掻いて苦笑いをする一竜へ話し続ける。
「警戒は怠らない前提で、セイバーとか恵茉さんとでも出掛けてきたら?」
その横で、一竜や自分の冷茶を汲み終えたセイバーも静かに頷き口を開いた。
「一竜殿。 私も凛殿のご意見に賛成です。」
「……そうだな。」
少し考え込んだ末、一竜は笑った。
「美穂川さんは同級生らと女子旅に行ってるらしいし……セイバー。 どこか近場でも出掛けるか。」
「ちょっと待った! 都内はやめときなさい。」
凛がすかさず真剣な声音で口を挟んだ。
「残ってる陣営、ほとんど都内を動いてるでしょ。 特にライダー陣営は散策の関係で広範囲を歩き回ってるって話なんだから。」
確かにその通りで、偶然の遭遇がそのまま死闘へ繋がる可能性は充分にある。
しばし考えた後、セイバーが静かに口を開いた。
「では一竜殿。 現代の遠江へ連れて行っていただけますか。」
その一言に、一竜は少し驚いたあと微笑み、スマートフォンで交通経路について調べ始めた。
「あぁ、浜松か。 今日からじゃ時間が足りないな。 明日の朝出れば充分遊べるけど、最悪一泊になるかもしれない。」
「構いませぬ。 一竜殿が少しでも心休まるのであれば、それだけで充分です。」
柔らかく笑って答えたセイバーを見届けた凛は、残っていた冷茶を飲み干す。
「じゃ、決まりね。」
立ち上がると、ちゃっかり煎餅を器の半分程懐へ収めた。
「わたしは邪魔者だから帰るわ。 二人水入らずでしっかり楽しんでおきなさい。」
「──って凛さん、ちゃっかり煎餅を!」
「細かいこと気にしない。 じゃあね。」
最後までマイペースな笑みだけを残し、凛はひらりと手を振って部屋を後にし、静寂が戻った。
一竜は苦笑しながら食器を片付け、押し入れを開いた。
「じゃあセイバー、準備始めようか。」
「えぇ。」
二人は自然と頷き合い、着替えや洗面用具、充電器や息抜き用のタブレットや一竜の自主学習用テキスト、そして、万が一に備えた旅館の空室確認。
荷物は決して多くないが、その一つひとつには、この束の間の平穏を大切にしたいという想いが詰まっていた。
決戦は、もう遠くない。
だからこそ二人は今だけは”戦士”ではなく、一人の青年と一人の旅人として、明日への支度を静かに整えていくのだった。
翌朝──
まだ街が完全に目覚め切る前の柔らかな陽射しの中、一竜とセイバーは旅支度を整え、アパートを後にした。
一竜は小ぶりなキャリーバッグを引きながら歩き、セイバーは夏らしい軽装のまま、その後ろを静かについていく。
決戦を前にした束の間の休息。
その足取りはどこか普段より軽く、スキップさえする程だった。
そして、二人から数メートル程距離を空けた場所を、一人の女性が物陰へ身を隠す様に歩いていた。
キャスケットを深く被り、サングラスで顔を隠したその人物は、周囲をきょろきょろ見回しながら、不自然にならない程度の距離を保っている。
……その正体については、一先ず触れないでおこう。
ともあれ、セイバー陣営の小さな旅は、こうして静かに幕を開けた。
やがて、潮干駅から電車を乗り継ぎ、二人は東京駅へ到着する。
新幹線改札の内側には、多くの売店と色鮮やかな駅弁が並び、旅立つ人々の活気に満ちていた。
一竜が売店を見回しながら微笑み、セイバーの瞳が並ぶ弁当へ自然と向く。
「セイバー。 発車までまだ時間あるし、駅弁でも見て回ろうか。」
「えぇ。 旅先の食もまた楽しみの一つです。 是非、良き品を選びましょう。」
二人は売店を巡りながら、どの駅弁にするか楽しげに語り合っていた。
その頃──
「えっ……あれ? 違う?」
「こちらですね。 まず目的地を押していただいて……。」
「あっ、ありがとうございます。」
少し離れた券売機では、例のキャスケット姿の女性が駅員から必死に操作方法を教わっていた。
無論、その人物こそ──凛である。
監督役として二人を放ってはおけないが、シニア向けの簡単なスマートフォンすら諦めた彼女は、こうしてこっそりと見守ることしか選択肢がなかった。
魔術なら一流、文明の利器は三流な彼女はタッチパネル操作すら扱えず、駅員へ何度も頭を下げながら、ようやく目的地までの切符を発券することに成功した。
「……最近の機械って、ほんっと不親切ね。」
誰にも聞こえない様、小さく愚痴を零す。
その姿は、魔術協会の名門当主とは思えない程庶民的だった。
二十分後、ホームへ滑り込んできた新幹線が静かに停車し、一竜はスマートフォンで時刻表を確認しながら口を開いた。
「ここから浜松までは一時間半くらい。 そのあと更にバスだけど、車内ではゆっくり話そう。」
「承知しました。」
セイバーは微笑みながら頷くが、その目線の先には──
「されど、一竜殿。 自主学習も結構ですが、本日は休息の旅です。 どうか肩の力を抜いてください。」
「あはは、耳が痛いなぁ。」
自主学習のテキストも入ったキャリーバッグを手に、苦笑しながら一竜は頭を掻いた。
そんな生真面目さが、一竜らしいと言えよう。
笑い合って話す二人は並んで車内へ乗り込む。
その一分後、キャスケットを目深に被った凛も、何食わぬ顔で同じ車両へ乗車した。
扉が閉まり、新幹線は静かに動き始める。
夏休み真っ只中で車内は帰省客や旅行客で賑わい、子ども達の笑い声があちこちから聞こえていた。
その喧騒の中で、一竜とセイバーは窓際の席に腰掛け、駅弁を広げる。
セイバーは流れていく景色を眺めながら、小さく呟いた。
「故郷が、どの様に変わっているのでしょう。 楽しみで仕方ありません。」
「俺もだよ。 それに、セイバーに見せたい場所が一つあるんだ。」
「ほう?」
「まだ秘密。」
「……気になります。」
その素直な反応に、一竜は思わず笑みを漏らした。
少し離れた席では、凛が冷凍みかんを頬張りながらその様子を静かに見守っているが、当然二人は気付いていない。
やがて約一時間半が経った頃、新幹線は浜松駅へ到着した。
ホームへ降り立ったセイバーは、故郷の空気を胸いっぱいに吸い込み、どこか嬉しそうに目を細める。
その後ろを一竜が歩き、更にその後方を凛が人波へ紛れながら続いていた。
「ここからはバスで一時間半くらいかな。 発車まで少しあるし、お菓子か飲み物でも買っておこう。」
「妙案ですね。 旅のお供は大切です。」
二人が売店へ向かう姿を見送りながら、凛は口元が悪戯っぽく緩みながら小さく呟いた。
「……よし。 だったら先にバスへ乗っておけばいいわね。」
監視対象より先回りする──尾行としては理想的な判断だった。
程なくして、後方窓際の席を確保した凛は、二人が乗ってくるのを待つ。
やがて、一竜が小さな買い物袋を手に現れ、その隣をセイバーが穏やかな足取りで歩いてきた。
「一竜殿。」
「ん?」
「先ほど仰っていた、私へ見せたいものとは何なのでしょう。」
一竜は少しだけ悪戯っぽく笑い、空を見上げながら応える。
「懐かしいって思うか、新鮮だって思うか。 どっちかかな。」
「……ますます気になりますね。」
そのやり取りを見つめながら、凛は小さく胸を撫で下ろした。
「(……うん、これなら大丈夫そう。 最後まで、二人きりの時間だけは邪魔しない様にしなきゃ。)」
近い将来に始まる決戦を前にしても、二人のその笑顔だけは失われていない。
そう決意すると、凛はキャスケットを更に深く被り直した。
……尤も、その挙動があまりにも不自然だった為、隣の乗客から不審な視線を向けられていることには、最後まで気付かなかった。
バスは静かに、英霊がかつて生きた遠江の地へ向かって行く。
そして、一竜とセイバーの絆をさらに深める、小さな旅路がゆっくりと幕を開けた──