この時点で、辛うじて立ち上がれているのは──一竜や纐纈、更に古井戸組長という三人の一般人、そして魔術師である凛だけであった。
姿すら定かでない強大なサーヴァント──フォーリナーを打ち倒すには、あまりにも心許ない戦力である。
だが、セイバーとキャスター、そして最後の希望であるグレイを立て直す為には、ここで膝を折る訳にはいかなかった。
やるしかない、それ以外の選択肢は最初から存在していない。
そんな一同の様子を眺めながら、シリルは苦悶を押し殺して立ち上がる一竜と凛に軽く視線を走らせて口を開く。
「ふふふ……。 この途轍もないフォーリナーの精神干渉を受けながら、尚立ち向かおうとする貴方方も、中々大したものですね。」
次に彼の視線が捉えたのは、既に臨戦態勢に入っている纐纈と古井戸組長だった。
「──それを、己の精神性のみで跳ね除けるとは。 魔術回路すら持たぬ一般人が見せる“不確定要素”、理解の外ですが……実に感心させられますよ。」
その不気味な程余裕に満ちた言葉を受けても、古井戸組長は微動だにせず、岩の様にただそこに在り続ける。
「小僧。 俺はお前と違ってなぁ、数え切れん死線を越えてきた。 命に届く攻撃も、何度も喰らってきてんだ。」
腹の底に重力を宿した低い声が響き、彼は更に一歩踏み出す。
「経験の違いってやつをよ……次は、その身で分からせてやるよ。」
だが、その威圧の重さがシリルの胸を打つことはなかった。
嘲りとも期待ともつかぬ声で、彼は発し始める。
「ほぉ……過去という財産、ですか。 それが“今”という瞬間に、どこまで通用しますかね。」
その言葉を合図にするかの様に、亡霊達が一斉に動いた。
否──正確には、思念体であるそれらは風の様に宙を裂きながら一同へと殺到してくる。
「纐纈の兄ちゃん! 魔術師の姉ちゃんの分の塩、まだあるか!?」
「ありゃ、ごめんなさい! あれ結構高くて、三パックまでしか買ってなかったんです!」
「……結構よ!」
頭を押さえつつ、凛が歯を食いしばりながら言い切る。
「魔術師として……こんな低俗な霊障に、屈してなんて……いられないわ!」
完全に精神干渉を振り切れた訳ではない。
それでも、魔術師としての矜持が、彼女を無理矢理立たせていた。
清めの塩については、最悪一竜が使っている分を回す算段なのであろう。
そう考えている間にも、亡霊達はすぐ目の前まで迫って来ていた。
「ぅおりゃああっ!!」
「よっ! よっ! シュッ! シュッシュッ!」
身体のあちこちに清めの塩が残っていた古井戸組長と纐纈は、それぞれの得意とする体術を駆使し、亡霊を一体ずつ確実に払い落としていく。
「せいっ!!」
完全復活とは程遠いながらも、凛も八極拳をフルに使い、必死に亡霊を退ける。
武の心得を持たない一竜はひたすら塩を撒き、亡霊の動きを鈍らせる役に徹していた。
それでも、後々三人が戦いやすい場を作るには、充分すぎる働きだった。
「ほぉ……。」
シリルはフォーリナーの傍らで手を組み、不敵に微笑む。
「ミス・遠坂はともかく……ここまで亡霊相手に立ち向かえるとは。 一般人という存在は、本当に理解し難いですねぇ。」
その瞳は、恐怖ではなく、純粋な興味に輝いていた。
「──ですが、だからこそ面白い。」
彼は静かに言葉を継ぐ。
「思い通りに行く展開の方が好みではありますが……そこに至るまでの“思い通りに行かない過程”も、また一興。」
心を抉られ、恐怖に晒されながらも尚も立ち上がり、やがて自分の元へ殴りかかって来るであろう四人の姿を思い描きながらも、シリルは怖気付くどころか、胸を躍らせていた。
その光景を、グレイは尚も地べたに跪いたまま、スマートフォンを片手に見つめていた。
先ほど纐纈から送られてきた、ロード・エルメロイⅡ世のボイスメッセージ。
それが確かに届いたという事実が、彼女の心に、ほんの僅かな安堵を齎らしていた。
震えは完全には止まっていない。
それでも、先程までの様に呼吸を乱す程ではなかった。
『おい、グレイ。 ぼーっとしてねぇで、早く聞いた方がいいんじゃねぇのか? ロードの声なんだろ?』
「……あっ、はい。」
アッドに促され、グレイは小さく頷くと、改めてスマートフォンの画面を操作する。
指先で再生マークを押したその直後──数秒の沈黙の後、彼女にとって何よりも聞き慣れた、そして心を落ち着かせる声が静かに流れ始めた。
『──やぁ、グレイ。』
小さなホワイトノイズを纏った、ロード・エルメロイⅡ世の声が聞こえる。
「……師匠。」
それだけで胸の奥がふっと緩んだのか、自分でも驚く程声に余裕が戻っていた。
『君がこのデータを聞いているということは、ミスター・纐纈が窮地を察した、ということだろう。 シリルの扱う亡霊──あるいは、それ以上の存在によって。』
『あのロード、普段はドジばっかりなのに、こういう時だけ妙に察しがいいんだよな』
アッドがケタケタと笑いながら茶々を入れる。
普段なら、ここでグレイが鳥籠を振り回して黙らせているところであろうが、今は違った。
彼女の意識は、ただ一方向に──ボイスメッセージの言葉に、深く引き寄せられていた。
『君の墓守としての霊的適性の高さ、そしてその繊細さが変わらないことは、私もよく理解している。 だが、グレイ。 君はあの日から確かに、自分自身の足跡を刻んできた筈だ。 その過程で得られて来たものは──』
あの日──ウェールズの霊園ブラックモアの墓地で、ロード・エルメロイⅡ世と初めて言葉を交わした日のこと。
人見知りで寡黙で、感情を表に出すことすら怖れていた、かつての自分。
その彼女が、これまでに得てきたものとは──
『感情だ。 だからこそ君は、私や誰かを守る為に、何度も奮い立ってきた。』
そう、それは彼に引き取られてからの日々の中で育まれたものだった。
身の回りの世話をし、時には難事件に共に挑み、不器用ながらも確かな信頼を築いてきた。
そしてエルメロイ教室で出会った仲間達との交流が、彼女の感情を形作っていた。
『これまで、フラットやスヴィン、多くの生徒や他のみんなを守ってきたのと同じ様に──ミスター・纐纈やキャスター、遠坂やセイバー陣営の面々も、君なら守り切れる。』
真剣な声で語り切った後、彼の声には微かな笑声が浮かんでいた。
『次は──目の前で、いい報せを待っている。』
「──師匠。」
その名を零すと同時に、グレイは静かに立ち上がった。
メッセージは短いが、その言葉は確かに彼女の心の奥へと届いていた。
『──グレイ!』
「……アッド。 お待たせしてしまいましたね。」
亡霊が未だ彷徨うこの場で、恐怖が完全に消えた訳ではない。
それでも──“仲間を守りたい”という想いが、彼女の足を確かに前へと運ばせていた。
「師匠の心配を徒労に終わらせて、いつもの様に呆れ顔をさせて差し上げましょう。」
『おぉ、言うじゃねぇか! ようやく腹いっぱい喰えそうで、俺も楽しみだぜ!』
アッドは、グレイの手によって鳥籠から解き放たれた。
次の瞬間──彼を包む魔力が一気に膨れ上がり、歪み、軋み、やがて巨大な“死神の鎌”へと姿を変える
「おやおや……。もう少し楽しみたかったのですが……どうやら、私の計画も終わりが近い様ですね。」
シリルは眉根を僅かに下げながらも、口元がまだ緩んでいた。
『イッヒッヒッヒッヒッヒ! 待たせやがって、グレイ! その分、たらふく喰らい尽くしてやるぜ!』
「……すごい……鎌に……なった……!」
「おぉう! 形が変わっても、サイコロの時と喋り方は一緒なんだね!」
一竜や纐纈も、その圧倒的な変貌に思わず声を上げる。
「……グレイ! ……立ち上がれたのね!」
「姉ちゃん、よく踏ん張った! 亡霊とフォーリナーは、頼んだぞ!」
「……はい!」
古井戸組長の激励に、グレイは鎌と化したアッドを強く握り締めた。
そして地面を鋭く蹴り、無駄のない動きで駆け出すと、 一竜達へと襲いかかろうとしていた亡霊の群れを一閃で薙ぎ払った。
『ウッヒョー! こいつはたまんねぇ! 久しぶりに満足に喰えるぜぇ!』
清めの塩で弱らせるのが精一杯だった亡霊達が、次々とアッドに喰われて跡形もなく消えていく。
更にグレイは、セイバーやキャスターに迫っていた亡霊にも向き直った。
「……グレイ殿……!」
「ふふ……。 キミって……ここまで……出来るんだね……。」
英霊である彼女が、霊を喰らうアッドの存在を前に一歩距離を取り、ただその力に感嘆の眼差しを向けていた。
その様子を見届けた古井戸組長が、腹の底から気を吐き出す様に声を張り上げた。
「よし! あの金髪野郎の所へ駆け寄るぞ!」
「……はい!」
「はいっ!!」
「シリル……覚悟しなさい!」
遮る者がいない今なら、シリルの元へ辿り着くこと自体は造作もない。
──あと一つの、大きな問題さえ消え去れば。
「ふふふ。 みなさん、フォーリナーのことをお忘れではありませんか?」
その声と同時に、空気が軋んだ。
目に見えぬ圧が、地面から、空間そのものから押し潰す様に降りかかってくる。
「ぐっ……! くうっ……!」
「す、すごい……圧力だ!」
「んぬぬぬっ! 塩を被っても、ぜーんぜん進めないよ!」
「……くっ! あと少しだっていうのに……!」
四人は、シリルの元まで残り三歩という距離で、強大な魔力の壁に押し止められた。
その瞬間──グレイが、虚無へ向けてアッドを素早く振りかざす。
刹那、魔力の奔流が走る。
当然、それだけでフォーリナーという存在を完全に消し去ることは叶わなかったが──
『────ッ!』
そこに在った虚無が、軋み、歪み、徐々に形を帯び始める。
それは、漆黒の影を無理矢理固めたかの様な巨躯。
その表面には、剥ぎ取られた人の貌が、縫い付けられる様に貼り付いている。
視線を向けるだけで胃の奥が不快に捻じれる、生理的嫌悪を呼び起こす異形だった。
『おいおい……グレイ。 こいつって、あの有名な“アレ”だよな?』
「はい。 スコットランドに伝わる恐怖の権現。 人知れず子供を攫う、無名の怪異──」
グレイは静かに言い切る。
「──ボギーマン。」
「ふふふ。 やはり、ブリテンの人ならご存じでしたか。」
ボギーマン──それはスコットランド起源とされ、主に子供の躾として語られてきた恐怖の化身であり、本来は迷信、あるいは語り継がれるだけの存在に過ぎなかった。
だが、シリルの持つ才能がその怪異をこちら側へと引きずり出したのである。
「えぇ! すごい! これがあのオバケの大手、ボギーマン!?」
『その通りだ、纐纈! 通りで喰いごたえありそうだと思ったぜ!』
纐纈は純粋なオカルト的好奇心で、アッドは己の食欲で、それぞれの理由から気分を高揚させていた。
その勢いのまま、アッドがグレイに声をかける。
『よし、グレイ! 俺はいつでも“アレ”になる準備はできてるぞ! やっちまえ!』
「……ですが、アッド。 この状況で拘束を解けば、梨園町そのものが消し飛びかねません……。」
グレイとアッドには、フォーリナーを消し去る為の“切り札”がある。
だがそれは敵のみならず、周囲全てを巻き込みかねない力でもあった。
「ふふふ、レディ・グレイ。 折角立ち上がれたというのに、ここで頓挫してしまうとは……些か残念ですね。」
シリルは真意の測れぬ不敵な笑みのままで、踏み止まるグレイに語りかける。
「……キャスター。 御身は……どれ程動けそうですか?」
「ふふふ……。 セイバー……キミと同じさ。 大分取り戻せてきたよ。」
先程のグレイの一撃が、確かにフォーリナーの力を削いでいた。
その影響で、セイバーもキャスターも徐々に完全な力を取り戻しつつある。
この日まで、花園区梨園町を中心に世間を騒がせてきた一連の暴動事件。
立ちはだかる壁は尚高いが、それは確実に崩壊の瀬戸際まで追い詰められ、事態は静かに、しかし確実に解決へと近付きつつあった──