討つべき敵は、最早目と鼻の先にいる。

事実、一同は必死の攻勢の果てに、シリルを追い詰めていた。

だが、フォーリナー──ボギーマンが尚その前に立ちはだかる限り、この盤面は未だチェックメイトには至らない。

不敵な笑みを浮かべるシリルを前に、誰もが歯噛みしていた。

「くそっ! 目の前にいやがるのに、届かん! 舐めやがって……!」

「こいつを……倒さないと……梨園町が……!」

本当(ほんと)、ここまで痒いところに手が届かない状況も中々ないよ、これ!」

「……フォーリナーを……なんとか消さないと……!」

先程のグレイによるアッドを用いた一閃で、確かにフォーリナーの魔力を弱めてはいた。

だが、それは飽くまで“姿を露わにした”程度で、シリルを覆う圧倒的な圧力を完全に排除するには至っていない。

「ふふふ……。 ここまでよく食らいついてきましたが、どうやらそれも無駄に終わりそうですね。」

シリルが一同を見下ろす様に嘲笑し、口元に指を添えた、その瞬間──

「……さぁ。それは、どうかな?」

「まだ……私達がいます。」

声のした方へ、全員の視線が集まる。

辛くも体勢を立て直したセイバーとキャスターが、静かに──しかし確かに、シリルへと身体を向けていた。

その姿はどう見ても万全とは言い難く、魔力の流れも呼吸も未だ完全ではない。

それでも、倒れ伏していたところを立ち上がった一竜や纐纈(くくり)──

歯を食いしばって立つ凛、大地の如く揺るがぬ古井戸組長──

そして彼らを守るという、ただ一点の意志で立ち続けるグレイ──

その全てが、ここに在る。

──ならば、サーヴァントである彼女らが立ち上がらぬ理由など存在しない。

「……セイバー!」

「キャスター! やったー! やっとまた闘えるんだね!」

それぞれのマスターである一竜と纐纈(くくり)の声が、弾む。

「一竜殿……お待たせしてしまいました。」

「ヒーローっていうのはね……ギリギリに、颯爽と現れるものなのさ。」

そう答える二人の瞳には、確かな闘志の炎が宿っていた。

その光景を前に、シリルは乾いた拍手を打つ。

「ほぉ……。いよいよ、この闘いのオールスターが再集合という訳ですか。」

確かに、盤面は彼にとって不利になりつつある。

それでも、その笑みは一切揺るがない。

底の見えない、不穏な余裕が、周囲の空気を歪めていた。

「しかし……フォーリナーは思念体。 物理的な武器が通じる筈もありませんよ。」

「承知しております。……それでも、なさねばなりません」

「果たして……これは、通じるかな?」

キャスターがそう告げると同時に、フォーリナーの周囲に複数の弓矢が空間から生成された。

矢尻には炎が纏わりつき、全てが寸分の狂いなくフォーリナーの中心部を捉えている。

「──ゲーム、リスタート。」

次の瞬間、炎の弓矢が一斉に放たれ、全弾が完璧な精度でフォーリナーを“貫いた”。

だが、それがその身体を“削った”かどうかは、別の話である。

実体を持たぬフォーリナーに対し、弓矢は何一つ抵抗を得ることなくすり抜け、無情にもその足元へと突き立った。

「ほらほら。 申しましたでしょう? 火を纏おうが、無駄なのですよ。」

「はは……そうみたいだね。 早とちりして……もう一回、矢を生成してしまったよ。」

互いに余裕の笑みを浮かべ、軽口を交わし合った。

再び放たれた弓矢も結果は同じで、全てが同一点に突き立ち、炎だけがそこに集積していく。

「えぇ!? キャスター!? まだ本調子じゃなかったの!?」

「ふふふ……。(つかさ)……まだ、ワンチャンスある筈さ。」

纐纈(くくり)の心配もよそに、キャスターの“無作為な放出”は止まらない。

炎は、ただひたすらに積み上がっていき、困惑の声が次々と上がった。

「おいおい、姉ちゃん! 無駄な消耗は命取りだぞ! 無理すんな!」

「そうよ……キャスター! 軍師たる……アンタらしくないわよ!」

だが──一竜だけは違った。

「(でも……セイバーは……冷静だ。)」

彼の視線の先には、やはり己のサーヴァントであるセイバーだった。

キャスターの奇行に、彼女は一切動じる様子もない。

「(それに……纐纈(くくり)さんの目も……。)」

まさしく、纐纈(くくり)の視線はキャスターだけでなく、フォーリナーの足元へと何度も向けられている。

そこには、尚も燃え盛る炎の束が聳え立つ。

やがてその火柱が、ついに一メートルを超える高さへと達していた。

「おやおや……。 火柱で少しずつ焼き払う算段だった、などとは言わせませんよ?」

容易には消えぬ炎を一瞥し、シリルは眉を僅かに動かす。

違和感──だが確信には至らず、そのまま口角だけを吊り上げた。

「とはいえ……まだ、手の内を全て晒した様にも見えませんが?」

「ふふふ……。 本番は、ここからさ。──セイバー。」

「御意。」

キャスターの合図に、セイバーは一歩静かに前へ出た。

構えは低く、視線はフォーリナーのみただ一点を射抜く。

それに呼応する様に、フォーリナーもまた身体を向けるが、その動きはどこか不安定だった。

「……あれ? フォーリナー(あいつ)……今……。」

「なんかふわふわしてない? 思念体でも、さっきまではもっとどっしりと“重さ”があったのに。」

一竜と纐纈(くくり)が異変を口にした、その時。

シリルの脳裏にも、同じ推論が浮かび上がる。

「火の矢、燃え上がる火柱、思念体が感じる奇妙な浮遊感。 ほぉ……。」

三者三様に、同じ“答え”へ辿り着きかけた、その刹那。

「察しの通りだよ。」

キャスターが、ゲームでの自分のプレイを披露するかの様に楽しげに告げた。

「火の矢は、無駄撃ちなんかじゃない。 これはある種の“火陣”の形成──そして……風を呼び込む為の呼び水さ。」

──シャッ

──フンッ

キャスターの言葉を合図にするかの様に、セイバーの刀が目にも止まらぬ速さで鞘走る。

次の瞬間、研ぎ澄まされた一閃が力強く──しかし無駄なく上方向へと薙がれた。

それは、日頃見ていた動画の中で何度も見返した、あの“居合い切り”そのものだった。

刃が空を裂いた直後、フォーリナーの巨体が火柱の倍以上の高さまで、ぐっと持ち上げられる。

「……えっ。 これって……。」

凛が息を呑んだ、その直後、一竜、纐纈(くくり)、そしてシリルがほぼ同時に、同じ言葉を口にする。

「……上昇気流!」

「上昇気流!!」

「……上昇気流、ですか。」

本来、炎だけで強い上昇気流を生むには条件が厳しく、熱膨張だけでは押し上げる力が足りない。

だがそこに──セイバーの“風を斬る一閃”が加わり、火と風という条件は揃っていた。

「しめたっ! フォーリナー(やつ)の圧が抜けた! 突っ込めるぞ!」

「うおぉぉぉ!!」

号令の様な古井戸組長の声と同時に、一竜が鉄パイプを振りかぶり、シリルへと踏み込む。

「おやおや……。 そんな大振り、喧嘩素人の私でも当たりませんよ。」

身体の軸をずらし軽やかに回避したが、それを“待っていた”者がいる。

「小僧ォ! 一対一だと思ったら大間違いだぞぉ!!」

──ゴッ!

古井戸組長の拳が、シリルの右頬を正面から捉えた。

「……っ、ぐぶっ!」

これまで肉弾戦を避けてきたツケが、ここで一気に来る。

脳を揺らす衝撃により、よろめき眉を顰めながらも、それでもシリルは薄く笑った。

「ははは……。 いよいよ、喰らってしまいましたか……。」

次の瞬間、纐纈(くくり)の全体重を乗せた空手仕込みのローキックが、シリルの左太腿を深々と抉る。

体勢が崩れた、その一瞬。

──パァンッ!

凛の掌が、真正面からシリルの顔面を捉えた。

「やっと捕まえたわよ……シリル!」

次の瞬間、強力な発勁が放たれた。

衝撃は外側ではなく内側へ、内臓や筋肉を直接叩き潰す様な衝撃に、シリルの身体は二メートル近く吹き飛ばされる。

地面に仰向けに倒れ、それでも彼は上体を起こしながらも困った様に笑っていた。

「まったく……。 世の中は、よくできていますね。 上手くいく時もあれば……やはり、大きな障害も付きものですか。」

その間にもフォーリナーは、上昇気流に乗せられ、既にビルの高さにまで吹き上げられていた。

その“頃合い”を、待っていた者達がいる。

「……グレイ殿! 今です!」

「これなら……梨園町への影響も、最小限で済む筈さ。」

この作戦は、ただシリルを捉える為だけのものではない。

グレイとアッドの“切り札”を、最も安全に切る為の盤面を整えることこそが、最大の目的であった。

「……はい!」

『ウッヒョー! 待ってたぜぇ! この贅沢なご馳走を、喰らう時をよぉ!!』

次の瞬間、グレイとアッドの周囲を無数の光の粒子が包み込む。

アッドの魔力が、完全解放へと向かっている。

その“先”を察し、霊体であるセイバーとキャスターは、即座に大きく距離を取った。

「……。」

アッドが眩い光に包まれる中、グレイは静かに、しかし確かな意思を宿した声で呟き始めた。

Gray(暗くて)……Rave(浮かれて)……。

Crave(望んで)……Deprave(堕落させて)……。

Grave(刻んで)……me(私に)……。」

その詠唱と共に、目深に被っていたフードが風に煽られる様に大きく捲れ上がる。

現れたのは、後ろで束ねられた銀色の髪。

そして、常に影に伏せられていた双眸には、今や揺るぎない決意の光が宿っていた。

「……おぉ……。」

「グレイさん、なんだかかっこいい!」

一竜と纐纈(くくり)が思わず言葉を失ったその瞬間、光を纏ったアッドが、低く、無機質な声を響かせる。

『──疑似人格、停止。

魔力の収集率、規定値を突破。

第二段階限定解除を開始。』

十三拘束解放(シール・サーティーン)十三拘束解放(デシジョン・スタート)。』

それは、これまでの悪ふざけ混じりの口調とは一線を画す、冷徹な“装置としての言葉”だった。

更に──

『是は、生きるための戦いである。──承認。』

『是は、己よりも強大な者との戦いである。──承認。』

『是は、人道に背かぬ戦いである。──承認。』

『是は、真実のための戦いである。──承認。』

『是は、精霊との戦いではない。──承認。』

『是は、邪悪との戦いである。──承認。』

「──っ……!」

凛の胸に、強烈な既視感が走った。

七年前の冬木、学友が従えていたあのサーヴァントの声──

確かに、それと同じ“重み”を持っていた。

間を与えぬまま、アッドは光の軌跡を描きながら、グレイの頭上へと昇る。

『第三段階限定解除を開始。』

Grave(墓を掘ろう)……for you(あなたに)……。」

最後の詠唱と同時に、アッドは巨大な光の螺旋に包まれ、形を変える。

それは槍──否、世界を貫く為の概念そのもの。

三メートルを優に超える光の柱が夜空を裂いて、上空のフォーリナーへと真っ直ぐに穿たれる。

「(古き神秘よ、死に絶えよ。 甘き謎よ、悉く無に帰れ。)」

「――聖槍、抜錨。」

最果てに(ロンゴ)──」

輝ける槍(ミニアド)。」

光は世界を押し分ける様に伸び、周囲に立ち上っていた火柱すらその奔流の中で霧散していく。

「──ッ!!」

やがて、フォーリナーは完全に光に呑まれ、悲鳴すら残さず粒子となって消滅した。

「……消えた?」

「え? これ、本当に終わったの!? 変な失敗フラグとかじゃなくて!?」

「……怪物の気配は、感じないが……。」

戸惑う三人に、凛が空を見上げたまま告げる。

「魔力反応、完全消失。 精神干渉も、残滓すらない。 霊核(コア)ごと、完全に分解されたわね。」

その声には、いつもの凛らしい確信が戻っていた。

「えぇ……仰る通りです。」

その背後から、ぼろ布の様に打ちのめされたシリルが、乾いた笑みを浮かべる。

「フォーリナーは完全消滅。 ……私の、負けです。」

内出血と青痣に塗れ、立つのもやっとのその姿に、セイバーが静かに歩み寄る。

気付けば刀は抜かれ、刃はシリルの首元へ――

「……。」

シリルに抵抗は何一つなく、ただ受け入れる様に不敵に微笑んでいた。

「(はは……私も、ここまでですか。 成さずに悔いるより、成して悔いる──本望です。)」

刃が首を刈る、その寸前──

一竜とグレイは思わず目を逸らし、凛と古井戸組長は覚悟を決めて見据えた。

対し、纐纈(くくり)はこの一生で二度と見ることもないであろう結末に、キャスターはこの後のセイバーの行動に興味を持ち、それぞれの想いで見届ける。

だが──刃は、首の皮一枚の所で止まった。

血の一滴も流れぬまま、沈黙だけが落ちる。

「……ほぉ。 ここで首を刈らないとは、私に屈辱でも与えるおつもりで?」

その問いに、セイバーは静かに答える。

「今、悪きは貴様の行いのみ。 ここで首を刈る理由が、何処(いずこ)にありますか。」

刀は血を吸うことなく、静かに鞘へと収められた。

「首を斬るとは、人を人ならざるものとすること。 そして、斬る者もまた人の道を捨てる。 私は……人でありたい。 貴様とて、人として国へ帰す。 それだけです。」

その眼差しは厳しく、だが突き放すことで示す──獅子の優しさが宿っていた。

「……ふふふ。」

シリルは、心底負けを認めた様に笑った。

「完敗です。 あまりにも見事で……感心さえしてしまいましたよ。」

彼は両手を上げ、その場を去ろうとする。

「私は明日の便でロンドンへ戻ります。 チェックアウトや手配で、夕方頃になるでしょうがね。」

そう言い残し、空き地を後にする──

そのすぐ近くで、不良少年少女達が警察に取り押さえられていた。

「おい、シリルの兄さん! 公僕がうるせぇんだよ、なんとか言ってくれよ!」

「俺達、アンタに導かれたんだろ!? 助けてくれよ!」

その叫びに、警察の視線が一斉にシリルへ向く。

「お兄さん。 彼らがそう証言していますが、詳しく聞かせて貰えますか?」

「ふふふ。 確かに彼らを導いたのは私でしたが……これは困りましたねぇ。」

眉根を下げながらも不適な笑みで呟いた、次の瞬間──

シリルは魔術で眩い光を放ち、不良少年らや警察の視界を焼いた。

「うわっ!」

「公務執行妨害だ!」

その隙に、彼は静かに立ち去っていった。

だが、不良達の証言と警察への反発は後に確実に彼の立場を追い詰めていくのだが、それはまた別の話。

かくして、一人の魔術師が引き起こした梨園町暴動事件は、二組の聖杯戦争参加陣営と反社会組織の長によって、ほぼ完全に秘匿されたまま、幕を下ろしたのであった──