セイバー陣営、キャスター陣営、そして古井戸組長。
三者に囲まれた空き地は、まるで見えない天蓋が下ろされたかの様に、重苦しい圧に満たされていた。
濃密な殺気に絡み合う魔力、一歩踏み違えれば、空気そのものが引き裂かれそうな静寂。
その沈黙を最初に破ったのは、古井戸組長へと視線を向け、芝居がかった丁寧さで言葉を選ぶシリルだった。
「おやおや……そちらの御仁は、どうやらすべてが初対面の様ですね。 この際です。キャスター陣営の方々にも、改めて自己紹介を。私は──」
だが、その名が口にされる前に。
「シリル・ファラムス卿!」
グレイによる凛とした声が、空気を鋭く切り裂いた。
「……おやおや。」
シリルは僅かに目を見開き、すぐに苦笑へと変える。
「レディ・グレイ、まさか貴女の口から私の名が出るとは。 少々、拍子抜けですよ。 彼女の言う通り、私はシリル・ファラムス。 時計塔に籍を置く魔術師です。」
シリルは自らの肩書きを誇るように、しかしどこか芝居がかった口調で名乗る。
だが、その言葉を遮る様に、今度は古井戸組長の低く太い怒声が響いた。
「魔術師だろうが、そんなもん知るか! 俺達の縄張りを、これ以上荒らすつもりなら……許さんぞ!」
その眼光は、まるで長年研ぎ澄まされてきた刃の様だった。
だが、シリルは一切怯まない。
「おや。 ご老体、それは誤解ですよ。 私はただ、世の掃除に少しばかり手を貸しているだけです。 魔術師としてね。」
まるで自分の理屈に酔っているかの様に、彼は淡々と語る。
その姿を見て、凛が噛みつく様に声を上げた。
「いい加減にしなさい! アンタがやってるのは“掃除”なんかじゃない! 人を操って混乱させてるだけよ! 魔術師の名を汚す行為、今日で終わりよ!」
「拙も同意します! 師匠に代わり、貴方をロンドンへ帰国させます。 これ以上、野放しにはできません!」
一歩手前に向かうグレイは、厳密には魔術師ではないが、時計塔に身を置く者としての矜持が、彼女を前に出させていた。
そこへ、静かに──だが確かな威圧を伴って、セイバーが口を開く。
「それに……貴様は、我々に対して一人。 何か策があって、この場に立っているのですか?」
向かいにいるキャスターも、同調する様に微笑む。
「ふふ。 セイバーの言う通り、ここまで追い詰められて何も考えていないとは思えないよね。」
その言葉に応える様に、シリルは肩をすくめた。
「当然でしょう。 私一人……というのは、少々語弊がありますね。」
彼が軽く指を鳴らす。
「ここには、まだ“迷える民”が十名ほど残っています。」
周囲を見渡せば、確かに数名の不良達が、怯えと興奮の入り混じった顔で立ち尽くしていた。
その内の二人が、勢い任せに凛とセイバーへと突進するも──
──ボンッ
──ゴンッ
一人は凛の放った八極拳の絶技・発勁で吹き飛び、もう一人はセイバーの風を裂く峰打ちで、あっけなく地に伏した。
「数に入らないわね。」
「精々、準備運動でしょう。」
凛が肩を払う様に言い、セイバーも淡々と続ける。
その光景に、古井戸組長がふっと口角を上げた。
「ほぉ……。 サーヴァントの姉ちゃんが桁違いなのは分かっちゃいたが、魔術師の姉ちゃんも本物だな。」
そう言って、彼は羽織っていた浴衣を脱ぎ、側近へと放る。
現れたのは、初老とは思えぬ、鋼の様に鍛え上げられた肉体。
前線を退いた後も、修羅場を想定して鍛え続けてきた証だった。
「俺も、この道のプロだ。 若い連中に遅れは取らんよ。」
その光景に、シリルは感心した様に目を細める。
「ほほぉ……、確かに。 貴方方にとって、彼らは“数”ではないでしょう。 ──彼らはね。」
意味深な言葉の余韻を残したまま、不良達が再び動き出す。
当然、凛とセイバーに向かった者達は、再び軽く瞬殺された。
「学習能力って言葉、知ってる?」
「無謀は勇気ではありません。 ただの蛮勇です。」
そして、別の一人が古井戸組長へと飛びかかるが──
──ゴスンッ
──ゴスンッ
ミドルキックが二度、金棒の様に重く鳩尾を打ち抜く。
「ぶふっ!!」
男は為す術なく崩れ落ちた。
組長が男を見下ろし、静かに言い放つ。
「兄ちゃん、俺は老いても“プロ”だ。 素人に負ける程、安い修羅場は踏んどらんよ。」
その言葉通り、そこに立つ姿は、紛れもなく“場を制する者”のそれだった。
さらに一方、不良の一人が纐纈の顔面めがけ、鉄パイプを振りかぶって突進してきたが──
──ゴロンッ
纐纈は一瞬の判断で前転。
唸りを上げて通過する鉄パイプの軌道を潜り抜け、そのまま相手の懐へ滑り込み、同時に足首を刈り取った。
「ぐあっ!?」
重心を奪われた不良は無様に尻餅をつき、手にしていた鉄パイプが乾いた音を立てて転がる。
「っ、痛ぇ! コイツ……舐めやがって!」
吐き捨てる様な叫びに見向きもせず、纐纈は即座にその鉄パイプを拾い上げる。
「キャスター! パス!」
「士、サンキュー!」
放られた鉄パイプは、寸分の狂いなくキャスターの手に収まった。
「女が武器持ったくらいで勝てると思うなよ!」
不良は吠え、またもや大振りで鉄パイプを振り下ろすも、その動きはあまりにも単調だった。
キャスターは涼しい顔のまま最小限の動作で一閃し、鉄パイプで相手の手腕を正確に叩き落とす。
「うっ、痛ぇっ!」
悲鳴を上げた刹那、反撃の隙すら与えず、キャスターの持つパイプの継手が、喉元へ一直線に突き込まれた。
「んぐっ……!!」
断面で穿たれた訳ではないが、それだけで呼吸を奪うには充分過ぎる一撃だった。
「ふふ。 剣技は生前にみっちり鍛えたからね。 即席の武器でも、遅れは取らないよ。」
悶える不良を見下ろし、キャスターは余裕の笑みを浮かべる。
その横では、武器を持たない纐纈と別の不良が激しく打ち合っていた。
「くそっ! なんで当たんねぇんだよ!」
「おぉ、いいね! 全部見える分、五年分の経験も悪くないかも!」
上段、中段、蹴り、次々と繰り出される攻撃を、纐纈は空手仕込みの捌きで受け流す。
相手の隙が生まれる度、脛骨の重さを乗せたローキックが、不良の太腿へ叩き込まれる。
「痛ぇっ……!」
何度も削られた不良の脚は最早言うことを聞かず、体制を崩してしまった。
「ほらほら、立って立って! まだやれるでしょ、頑張って!」
励ましのつもりなのだろうが、その言葉は容赦なく不良の心を削っていった。
一方、グレイは別の不良と対峙していた。
しかし相手は人間である為、アッドを解放することは出来ずにひたすら回避に徹している。
「へへっ、コイツはいけるぜ!」
調子づいた不良が手数を増やした、その瞬間──
──ゴスンッ
横合いから叩き込まれたのは、古井戸組長による、砲弾の様に重く槍の様に鋭いフロントキック。
俗に言う“ケンカキック”が、不良の胴を貫いた。
「ぶほっ!!」
吹き飛ばされた体は、纐纈が相手にしていた不良へ激突する。
まるで交通事故の様な衝撃だった。
「おぉう! 流石本職の闘い方ってかっこいい!」
纐纈は、思わず目を輝かせて感嘆する。
体勢を立て直したグレイが、組長へ深く頭を下げた。
「ありがとうございます……巻き込んでしまって、申し訳ありません」
「構わん。 縄張りを荒らされた報いだ。 それに──」
組長は息一つ乱さぬまま静かに答え、キャスターと纐纈へ視線を移した。
「話は子分からROPEで聞いた。 我が子分・猪狩晶真と、その客分・アサシンの旦那。 あの二人の仇、バーサーカーを討ったのはお前さんらだとな。」
明らかに気のこもった言葉に、一瞬場の空気が引き締まる。
「“親”として、“子”の仇を討ってくれた礼もある。 一端の人間だが、俺も最後まで肩を貸させて貰う。」
「ありがとうございます! とっても心強すぎます!」
「私からも礼を言うよ。 これが現代に残る“サムライ”の精神ってやつなんだろうね。」
その言葉に応える様に、手の空いたセイバーと、その背後から一竜、凛が歩み寄ってきた。
「えぇ。 正しく武士の精神。 世に疎まれようとも、その義理堅さは尊ぶべきものと存じます」
彼女らの背後では、既に四人の不良が地面に転がっていた。
「そういやさ、一竜くんも無傷だね? もしかして、なんかやってた?」
「あ、はは……喧嘩も武術もやったことなくて、ほとんどセイバーと凛さんに守られてました。」
肩で息をしながら、一竜は苦笑で纐纈と話す。
そこへ、凛がズカズカとキャスターの前へ歩み寄った。
「ちょっとキャスター! 挟み撃ちにするって言ってたじゃない! なんで物陰から奇襲なんて狙ってたのよ!」
「ふふ、失礼。 奇襲の方が成功率が高いと思ってね。 敢えて詳しくは話さなかっただけさ。」
凛の圧力に一切屈さず、キャスターは涼しい顔で受け流す。
「合理的ではありますが……確実性を重んじる策ですね。 流石キャスター、侮れません。」
「なんか利用された気がして、素直に喜べないわねぇ……。」
セイバーと凛がそれぞれの思いをキャスターへぶつけ終えたその刹那、空気を切り裂く様に、シリルが不敵な笑みを浮かべた。
「ふふ……やはり、彼らではこの程度ですか。 そうでなくては、興が削がれるというもの。」
その一言に、場の視線が一斉に彼へ集まる。
凛が一歩踏み出し、鋭く言い放った。
「ウォーミングアップは終わりよ。 他に手があるなら、さっさと出しなさい!」
その言葉を待っていたかのように、シリルの口角が大きく吊り上がる。
「ええ、ええ。 お望みとあらば──この手を!」
そう告げると、彼は肩掛けのバッグを開き、淀みのない手つきで魔法陣の展開シートを地面へ広げた。
埃にまみれた紙片、砕けた宝石、古びた符。 触媒が無造作にばら撒かれる。
「っ……あれは!」
「まさか、新たなサーヴァントを!? そんなルール違反、させないわ!」
グレイが息を呑み、次の瞬間、凛が地を蹴ったが──
──ボワッ
凛の進路を遮る様に、半透明の異形が空間から滲み出る。
人の輪郭を模したそれは、実体を持たぬ霧の様でありながら、確かな“存在”としてそこにあった。
「……! セイバー、これは……!」
「ええ。 恐らく、悪霊の一種でしょう」
セイバーの声音は低く、警戒心を孕んでいる。
シリルの魔術──亡霊や悪霊を使役する術が、ついに牙を剥いたのである。
「厄介なもんを出しやがるな……。」
古井戸組長が亡霊を鋭く睨み、低く唸る。
これまで幾多の修羅場を潜ってきた男の本能が、明確な“質の違い”を告げていた。
「士、お待ちかねの“オバケ”だよ。」
キャスターが楽しげに、纐纈の肩を叩いて言う。
「おぉ、本物だぁ! この目で一度見てみたかったんだよねぇ!」
目を輝かせる纐纈は、すぐにグレイへ視線を向けた。
「──ってことで、グレイさん! 凛さんを突破させる為にも、早いとこアッドを!」
しかし、グレイは言葉に詰まり、僅かに身を竦めていた。
『オイオイ纐纈、落ち着けよ! 言ったろ? コイツは墓守の癖に、亡霊が苦手なんだ。 決心がつくまで待ってやれって!』
アッドの声が、彼女の内心を代弁する。
墓守としての質が高過ぎるが故に、霊の本質を捉えすぎる傾向がある。
死んだ筈の存在が地上を彷徨う亡霊の類いに恐怖心を抱くのは、未だに慣れていなかった。
「グレイ! くっ……こんな奴らに足止めされてる間に、シリルが──!」
凛の叫びの先には、既に自らの血で魔術経路を完成させたシリルの姿があった。
彼は静かに、しかし確かな重みをもって詠唱を紡ぎ始める。
素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。
祖には我が大師、ファラムス。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、眠りの王冠より出で、現と夢の三叉路は循環せよ。
閉じよ。 閉じよ。 閉じよ。 閉じよ。 閉じよ。
繰り返すつどに五度。
ただ、灯り消えし刻を破却する。
────告げる。
汝の影は我が下に、我が恐怖は汝の刃に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は夜を疑いし者、
我は闇に名を与えし者。
汝、名も形も持たぬ思念体。
抑止の輪より来たれ、恐るる心より忍び寄る者よ───!
詠唱が終わった瞬間、展開シートから漆黒の闇が噴き上がる。
暴風が渦を巻き、魔力の奔流が空き地を支配した。
やがて風が止み、闇が収束すると、その中心にあったのは──人型すら持たぬ、“虚”のみだった。
「……あれ?」
「なぁんにもないよ?」
一竜も纐纈も目を瞬かせる。
だが、古井戸組長だけは、険しい表情で場を睨み続けていた。
「いや……いやがる。 あのバーサーカーとは違う、背筋を氷で撫でられる様な圧だ……。」
その言葉に、セイバーが頷く。
「流石です。 この魔力を掴まれましたか。」
「やはり歴戦の戦士だね。 ──でも、もっと敏感なのは彼女達だよ。」
キャスターの向けた親指の先には、呼吸を乱し震えるグレイの姿があった。
凛も同様に、胸騒ぎを覚えていた。
「……!! この魔力、ただのサーヴァントじゃないわ! アンタ、何を召喚したのよ!?」
だが、シリルは涼しい顔で微笑み返す。
「このサーヴァントは、霊媒としての性質を併せ持つ私だからこそ接続できた存在。 概念的反英霊──」
「降臨者です。」
「!? フォーリナー……!」
凛の反応に、グレイが息を呑む。
彼女のただ事じゃない様子に、一竜が慌てて尋ねた。
「凛さん、そのフォーリナーって……?」
「召喚条件の難しいエクストラクラスの一つよ。 “迷信より降臨せし者”、“虚空からの来訪者”、“世界観を乱す存在”。」
魔術師ではない一竜や纐纈、そして古井戸組長にも、凛のその言葉の重さが届いていた。
「魔術師として天才的に腕のあるアイツだからこそ、引き当てられた……最悪の札ね。」
影も形も持たぬ“虚”から放たれる魔力が、シリルを除く全員の肌をひりつかせる。
それは、戦場の理を歪める異物。
この場を、そして聖杯戦争そのものを乱し得る存在だった。
──戦いは、次なる段階へと踏み込む。