セイバー陣営は、まるで自ら罠へと踏み込む獲物の様に、シリルの背を追って夜の街を駆けていた。
逃げるというよりも──導く、そう表現した方がこの男の振る舞いには相応しい。
やがて、ビル群の中へ入り込み──
「さぁ、みなさん。ここです」
唐突に足を止めたシリルが、振り返りながらそう告げたその指定の場所は、公園から然程離れていない空き地だった。
解体されたばかりのビルの名残が生々しく残り、剥き出しの地面と仮囲いが月明かりに照らされている。
周囲は雑居ビルに囲まれ、視線も足音も遮断され、警察も一般人もまず立ち寄らない──確かに“都合のいい”場所だった。
「……なるほど。 確かに、我々にとっては好都合な地形ですね。」
セイバーが静かに周囲を見渡す。
「そうね。 シリル、アンタにとっては、わたし達をこっそり始末する為の場所でしょうけど、こっちからしても、人目を気にせずアンタを叩きのめせる、最高の舞台よ」
凛が一歩、乾いた地面を踏み締めた瞬間、空気が変わった。
セイバーもまた、剣士としての眼差しでシリルを射抜く。
一竜はその背後で、再び纐纈へ現在地を共有していた。
「ふふふ……。 果たして、思惑通りにいきますかね?」
シリルは薄く笑い、空き地の奥の資材置き場へと視線を投げた。
次の瞬間、資材の影から複数の人影が現れた。
「……むっ。」
「うわわっ、こんなとこにまで不良達が!?」
「ちっ……どこまでも狡い男ね。」
姿を現したのは、シリルの魔眼によって半ば精神を縛られた不良達だった。
繁華街ほどの数ではないが、警察の目を避ける為、この場所を拠点にしていたのであろう。
シリルは瞳を怪しく輝かせ、彼らの方へと身体を向けながら穏やかな声で語りかける。
「みなさん。こちらの方々は、貴方方の“自由”を奪おうとするお節介な人達です。 追い払って差し上げましょう。」
魔眼による精神操作により、彼らの理性が静かに、しかし確実に侵食されていく。
「なぁ、お姉さん達よ。 ここ、俺らの居場所なんだけどさぁ……帰ってくんねぇ?」
「それともさ、俺らと“遊ぶ”つもり? だったら、少しは大目に見てやるけどよぉ」
その声音は抑制されている様でいて、底抜けに下劣だった。
一竜は思わず背筋が冷えるのを感じる。
魔眼の影響は、既に彼らの理性を食い破り始めていた。
その内の一人の手が、凛の方へと伸び始めた。
──三秒後に待つ惨劇も知らずに。
──ゴツンッ
──ドムッ
──ガツンッ
凛の回し蹴りが、疾風の如く男の顔面を捉えた。
脚を戻す勢いのまま拳が鳩尾を穿ち、体勢を崩した相手を首相撲に捉える。
次いで放たれた膝蹴りが、容赦なく男の顔面を貫いた。
無様に崩れ落ちるその姿を見て、不良達も一竜も、顔色を失っていた。
「ひぃっ……! 凛さん、容赦なさすぎる!」
「お見事です、凛殿。」
そこから間髪入れず、凛の声が空き地に鋭く響く。
「冗談じゃないわよ! 一般人だから手加減してやろうと思ってたけど……気が変わったわ。 コイツみたいに二度と立ち上がれないくらい、叩きのめしてあげる!」
「女性の尊厳を踏みにじるその心……断じて見過ごせません!」
セイバーもまた、一歩前に出る。
その気迫に、不良達が一瞬だけ怯んだが──
「……チッ。 やる気かよ、お姉さんらよぉ!」
「ここまでやられちゃ、引けねぇよな!」
その声を聞いた瞬間、セイバーの隣で魔力が奔流の様に解き放たれた。
私服が弾け、赤き具足と鋭い刀が顕現し、威容が空き地の緊張を一段階引き上げた。
戦闘に不慣れな一竜だけが、冷や汗を流しながらも視線を逸らさない。
一般人に大怪我は負わせず、その上で、いかに早くシリルを止めるか。
複雑で過酷な戦いが、いよいよ本格的に幕を開ける。
一方、川窪公園では── シリルの魔眼によって精神を縛られ、欲に塗れた男達から金銭を強奪する役目を与えられた女性達が集っていた。
「ねぇ聞いてよ! シリルさんに会ってからさ、驚くくらいお金が入ってくるんだよ! このバッグもそのお陰!」
「分かる! 私なんて新しいスマホ、一括で買えちゃったもん。 ……まぁ、捕まらない様に上手くやらなきゃだけどね!」
既に何人もの男から金を騙し取った彼女達は、罪悪感よりも高揚に酔い、成果自慢に花を咲かせていた。
周囲への警戒が最早意識の外にあった、その背後に──
「……嬢ちゃん達。 誰かに唆された様だが、少し話を聞かせて貰えるかい?」
低く、しかし異様に芯の通った声が落ち、びくりと空気が跳ねる。
彼女達が一斉に振り返ると、そこには岩肌の様に峻厳な眼差しを宿した初老の男が立っていた。
その左右には、黒服の男が二人無言のまま微動だにしない。
梨園町一帯の暴動を探っていた、古井戸組長とその側近達である。
「えっ……えぇっ!?」
「ちょちょちょっと待って!? ヤヤヤヤクザ!? まさか、もうお礼参り……!?」
日頃の行いを思い返せば、そう考えてしまうのも自然だった。
だが、組長は静かに首を横に振る。
「そんなんじゃない。 さっきの会話にあった、君達を唆した野郎の話が聞きたいんだ。 どこまで話せる?」
敵意のないその声は、長年修羅場を潜ってきた者だからこそ滲み出る、無駄のない態度だった。
「え……あ、はい……。 シリルさんっていう、金髪で細身の……イギリスの人で……」
「私達に、こうやってやれば儲かるって……導いてくれて……」
「……でも、私達を通報とか……しませんよね?」
声を震わせ、視線を泳がせながらも、知っていることを洗いざらい話す彼女らの問いに対しても、組長は再び首を横に振った。
「何度も言うが、そんなつもりはない。」
そして真っ直ぐに彼女らの目を見据え、少しだけ声の調子を落とす。
「君達はな……違法だって分かっちゃいても、生きる為に体張って先立つもんを掴もうとして来た。 楽な道じゃなかったろうに、大したもんだ。」
思いもよらぬ言葉に、彼女らは鳩が豆鉄砲を喰らったかの様に呆気に取られていた。
「……だがな。 もう、こんな自分を安売りする真似はやめときな。」
背後の幹部から鞄を受け取ると、組長は厚めの封筒を取り出し、彼女達に差し出した。
「少ないかも知れんが、情報料だ。 就活でも住む場所探しでも、まともに生き直す足しにすればいい。」
恐る恐る中を覗いた彼女達は、目を見開き息を呑む。
「えっ……!? 三十枚……これ、本当に……?」
「縄張りを荒らした野郎の情報をくれた礼だよ。 ついでに、そのシリルとかいう男が、最後にどこへ向かったか分かるかい?」
組長は、鋭い視線で彼女達を見据えた。
こうして、古井戸組もまた梨園町を覆う暴動の核心へと、静かに、しかし確実に近づいていくのであった。
一方、梨園町一番街アーチ付近──
不良達に取り囲まれたキャスター陣営は、尚も踏み留まっていた。
キャスター、纐纈、グレイ、三者三様の動きで不良達の無秩序な攻撃をいなし、時に制圧する。
大振りで力任せな喧嘩しか知らぬ拳を、空手の捌きや足払いで流し続ける纐纈が、軽やかに距離を保つキャスターへ声を投げた。
「キャスター。 上手く避け切れてる分、やっぱり軍人ではあるんだね。」
「ふふふ。 書生であっても、軍人としての鍛錬は積んできたからね。 ……尤も、体力に自信がある訳じゃないけどさ。」
その言葉通り、キャスターの呼吸は僅かに荒くなり始めていた。
彼女の言う“書生”とは本来は儒学者を指す言葉で、学問や策略に重きを置いてきた彼女にとって、肉体鍛錬は必要最低限に留まっていたのである。
『それにしてもよぉ。 五分もこの調子だってのに、なぁんにも運が傾いてねぇぞ? 本当に大丈夫なのか?』
グレイの足元に置かれた鳥籠の中から、アッドがぼやく。
「確かに……。このままでは、そろそろ警察が来てしまうかもしれません。」
グレイもまた、周囲の騒がしさに視線を巡らせながら不安を口にした。
「ふふ。 確かに、少し時間をかけすぎたかもしれないね。 でも案外、どんでん返しは唐突に来るものさ。」
息を整えながらも、キャスターは変わらぬ余裕の笑みを崩さない。
──その時だった。
「おい、クソガキ共ッ!!どこで暴れてんだ、この野郎!!」
雷鳴の様な怒号が、夜の空気を引き裂いた。
声の先には、青筋を立てた古井戸組の組員数名。
暴動事件によって強化された縄張りの見回りに出ていた彼らが、事態を見逃す筈もない。
「おぉう! 本職の人達が来ちゃった!」
「ふふ。 警察じゃないだけ、不幸中の幸いかな?」
『纐纈、お前なんでちょっと楽しそうなんだよ……。』
不良達の動きが一瞬止まった隙を突き、キャスター陣営は距離を取る。
「そこのお前さんら、大丈夫か?」
「……それよりよ。 そこの姉ちゃんから、妙な気配を感じるんだが。 もしかして、お前さんらも聖杯戦争の参加者か?」
組員達は、生前の猪狩と共にいたアサシン、そしてその敵であったバーサーカーの“気配”を知っている。
その記憶が、キャスターの纏う異質さを見逃さなかった。
キャスターは小さく肩を竦め、穏やかに答える。
「よく分かったね。 私達は、この暴動事件の首謀者に用があってね。 以前に倒したバーサーカー陣営、その監督役の魔術師さ。」
その一言で、組員達の表情が一変した。
「──待った……今、なんて言った!?」
「本当に、あの規格外のバケモノを倒したってのか!?」
驚きに目を見開く組員達を前に、纐纈とグレイは思わず息を呑む。
だが、纐纈は一歩踏み出し、はっきりと答えた。
「はい、本当にやっつけました! ところで、どうして聖杯戦争やサーヴァントのことを知ってるんです?」
その問いに、若い組員二人が堪えきれず前に出る。
「俺達の兄貴分、猪狩の兄貴と……そのサーヴァント、アサシンの親分さんがバーサーカーに殺されたんだ!」
「その仇を……あんたらが、結果的にも討ってくれたって言うのか……!」
二人の瞳には、堪えきれぬ涙が滲んでいた。
心から慕う兄貴分と、確かにこの世に存在したギャングスターへの敬意と哀惜という重さが、言葉に滲んでいる。
「俊之、哲夫。 気持ちは分かるが……泣くのは後だ!」
幹部が二人を制しながら言うも、その目にもまた同じ色の涙が浮かんでいた。
「心から礼を言いたいが、今はお互いそれどころじゃねぇな。 俺達があのガキ共を引き受ける。 お前さんらは、首謀者の野郎をぶちのめしてくれ!」
「はい!」
「……あぁ、私からもお願いするよ。」
古井戸組の援護を背に、キャスター陣営はその場を後にした。
三人の姿が見えなくなった後、幹部が低く言い放つ。
「俺はすぐに親父さんへROPEであの三人について報告しておく! お前らは先に、縄張りで暴れるってのがどういうことか……たっぷり教えてやれ!!」
「はいっ!」
こうして、梨園町一番街の不良問題は、古井戸組の手へと引き継がれていった。
それからある程度移動したキャスター陣営側では、状況確認の為に纐纈がスマートフォンを取り出し、画面を覗き込む。
「おっ、一竜くんから続報が来てた! マップ共有によると、現在地はここだって!」
表示された地図には、空き地を示すピンが明確に点っていた。
「距離的にも遠くありませんね。この様子なら、すぐ現地に辿り着けそうです。」
「よし、ここで遅れてやってくるヒーローの登場ってところだね。」
軽く肩を竦めるキャスターの言葉を合図に、三人は再び駆け出した。
敢えて人通りの少ない裏道を選び、雑居ビルの影を縫う様に進む。
やがて、空気の質が変わった。
「……この魔力。 私市さん達の場所はもうすぐです!」
「しかも発生源は、ビルに囲まれた空き地の中央だね。 士、準備はいいかい?」
「おっけー! キャスター、冷静にいこう! グレイさんも、シリルがオバケを出したら、アッドで撃退をお願いします!」
三人は自然と声を潜め、魔力の放出源へと歩を進める。
視界の先の空き地の中央には、背を向けたシリルが立っていた。
その周囲では、セイバー陣営が不良数名と交戦状態に入っている。
キャスターの読み通り、シリルは完全に前方へ意識を集中させていた。
「ふふ……読み通りだね。士、グレイ。 ここから静かに近づいて奇襲をかけよう。」
キャスターのその言葉に二人は頷き、奇襲は完璧に決まる──筈だった。
「おい、この金髪野郎!! 俺達の縄張り荒らしてんのはお前か、コラァ!!」
空気を引き裂く様な怒声が、場を震わせた。
セイバー陣営も、キャスター陣営も、そしてシリル自身も、同時にその方向を振り向く。
そこには古井戸組長が腕を組みながら静かに、だが噴出せんばかりの怒りを露わに立っていた。
「げげっ! なんかデジャヴあると思ったら、あの人……さっきの本職の人達のボスだよね?」
「ふふふ、そうだろうね。 それより士、右を見てご覧?」
キャスターが眉尻を下げて口角を上げつつ、纐纈に親指で視線を促す。
「おやおや……これはこれは。」
不敵な笑みを浮かべたまま、シリルがゆっくりと口を開いた。
「キャスター陣営の……キャスター、ミスター・纐纈。 お初にお目にかかります。 そしてレディ・グレイ……時計塔以来の再会ですね。」
「……うーん、キャスター。 これってさぁ……。」
「ふふ。 完全に想定外だね。バレてしまった以上、作戦は失敗さ。」
『言ってる場合かよ!!』
呑気に結論を下す二人に、アッドが即ツッコミを飛ばす。
一方グレイは、ただ一言も発さずシリルを鋭く見据えていた。
こうして、セイバー陣営・キャスター陣営・そして突如として割り込んできた古井戸組長という三者三様の因縁と思惑が交差し、梨園町暴動事件はいよいよ最終局面へと押し出されていく──