セイバー陣営とキャスター陣営が、シリル制圧の作戦を練っていたその夜──
花園区梨園町では、連日の暴動が未だ鎮まる気配を見せず、まるで街そのものが苛立ちを吐き出しているかの様だった。
ぼったくり店では揉めた店員や客が暴力を振るい、広場では行き場をなくした若者の群れが通りすがりに難癖をつけては殴りかかる。
至るところで警官達が取り押さえに奔走するが、その数はあまりに多い。
交番レベルでは処理しきれず、区署が他署へ応援を要請しなければ立ち行かない程に、街はひび割れたガラスの様に不穏を広げていた。
そんな混乱の只中──
とある公園近くで立ち止まる女性に、一人のブロンドの男が声をかけていた。
「……なるほど。 生活の為に身体を張って稼いでいる、と。 ならばいっそ、男から金銭を“貰う”のではなく“奪う”方向へ切り替えるのも賢明では? あるいは、体格のいい男性を相棒にして騙し取ってみるなど。」
無邪気な笑みを浮かべながら提案するその男こそ──シリル・ファラムス。
まるで親身に相談に乗っている様に見せかけつつ、彼の瞳の奥には冷たい光が揺らめいていた。
「えっ? でも、それだと捕まりやすくなるし……しかもお金も山分けだし……。」
「今貴女がしている行為自体、充分違法ですよ? 遅かれ早かれ捕まります。 なら、もっと早く稼げる手段を取って、捕まる前に使い切ってしまえばいいのです。」
その言葉に女性は一度躊躇ったが、次の瞬間──
彼女の瞳がじわりと赤黒い光に染まり、迷いは霧の様に消えた。
追いつめられた者ほど、シリルにとっては都合のいい“餌”となる。
理想を叶える為に魔術を施すには、この上ない条件だった。
「(ふふ……また一つ、世の塵が掃われつつあります。 彼女が捕まるのは……二週間も保たないかもしれませんね。)」
そう、連日の暴動の主犯はやはりシリルだった。
彼の魔眼によって反社会組織の人間も、不良少年らも、その最後の理性の留め具を外され、自然と破滅へ向かっていく。
それこそが、彼の歪んだ“世界浄化”の手法である。
そんな悦に浸っていた矢先──
「そこの君達! 乱暴はやめなさい!」
「んだとぉ!? てめぇら公僕はよ!! 俺達こそが被害者なんだよ!! 先にこいつが睨んできたんだ!!」
また一つ、新たな暴動が発生し、数名の若者が警官に取り押さえられていた。
「ふふ。 昨日“お話”したメンツですね。 思い通りに暴れていらっしゃる……。」
彼らは元々素行が悪く、信頼など最初からなかった。
だが今は、暴力を振るう理由が“倫理の劣化”ではなく、“倫理そのものの喪失”へと変わっている。
その変質の始まりこそ、シリルの魔眼の効力だった。
「邪魔すんなコラァ!!」
「うっ! 公務執行妨害! 取り押さえろ!!」
「止めろ! 暴れるなって!」
遂には連中の一人が警察官の一人を突き倒し、現場はまるで戦場の様に散々たる事態へと移っていった。
取り押さえられた仲間を助けようとまた若者が警察を掴んでは叩き、隣の地域の警察の応援さえもくる程度に事態はいよいよ収集がつかなくなっていた。
「梨園町の多くのこの世の塵が掃かれていきましたが、まだ充分とは言えません。 あと二、三日はいておきましょう。」
合理の為に反社会的勢力や非行青少年を陥れては怪しく笑うシリルは、コンビニで買った紅茶のペットボトルを手に宿泊先のホテルへと踵を返して行った。
明日の夜もここで、そしてその先のエリアでまた繰り返すこの一連に備える為に──
花園区梨園町で暴動が続くとなれば、この街を縄張りとする古井戸組が黙っている筈がない。
組の奥──重たい空気が沈殿する組長室で、古井戸組長はラップトップに映る一つの動画を、まるで穴が空くほど凝視めていた。
その表情には怒りと侮蔑、そして“縄張りを荒らされた獣”特有の苛烈な気配が滲んでいる。
無論映っているのは、シリルによって引き起こされた暴動の数々だった。
店の破壊、通行人への暴行、夜の街を埋める混乱──全てが梨園町を食い荒らす病巣そのもの。
「……俺達の縄張りで好き放題やられて、黙っちゃいられんな。 暴れてるガキ共も、唆した奴も──まとめて落とし前つけさせてやる。」
吸い殻で溢れ返った灰皿、見開かれた眼の周囲に浮き上がる血管。
その全てが、彼の怒りを赤く照らしていた。
直後──
古井戸組長の呼びかけによって、構成員達全員が事務室に集められた。
組長の背後のホワイトボードには、”梨園町暴動事件 制圧会議”と書かれている。
「お前ら、ここに呼ばれた理由は分かるよな? ここに書いてある通り──梨園町の暴動についての会議だ!」
組長と同じく、構成員達の表情にも重苦しい緊張が走る。
だがその奥には、どこか“出番を待ち望んでいた”様な熱が潜んでいた。
「梨園町じゃ今、警察が制圧に動いてる。 だが、あいつらだけじゃ人数が足りん。 そして何より──ここは俺達の縄張りだ。 見過ごす奴なんざ……おらんよな?」
「はいっ!!」
事務所の天井が震える程の即答が響くのに、コンマ一秒もかからなかった。
「よし、話が早い。 警察が手の届かん場所を中心に、我々も動くぞ! 暴対法? そんなもん今更関係あるか! 責任は取る!」
縄張りを守るという一点に、彼らは迷わない。
いまの梨園町は、それ程逼迫していた。
「それと──今回の制圧には、俺も出る! 実行犯は片っ端から取り押さえるぞ! そして主犯らしき奴を見つけたら、すぐに全員へ報告せよ……いいな!?」
「はいっ!!」
組長自らが動く──
それが、この問題がどれほど彼を怒らせたかを雄弁に物語っていた。
その眼光は鋼の様に鋭く、事務室の奥の空気まで震わせる。
「……よし。 これより各自の役割と配置、そして制圧の具体的な手順を決める。」
「親父さん、私がホワイトボードに記入します。」
こうして、夜の梨園町における“裏社会の掃除”が静かに始まろうとしていた。
暴徒が撒き散らす混乱を、更に別の力が呑み込もうと牙を研いでいる──
それは正義でも悪でもない、ただ“縄張りを守る”為だけの冷徹な動きだった。
そして翌日──
都内のホテルの一室では、ロード・エルメロイⅡ世が聖杯戦争新制度の粗探し作業に没頭していた。
机の上には乱雑に積まれた資料の山、散乱する仮説メモ、空になった惣菜容器。
更には灰皿には吸い殻が折り重なり、相変わらず夜っぴて作業をしていた匂いが部屋の隅々にまで染みついている。
唯一の違いは、集中力を削ぐとしてしばらくの間グレイによってゲーム機が隠されていることくらいだった。
その様子を、呑気に紅茶を啜るライネスがくすくすと笑いながら話しかける。
「兄上ぇ、また顔に死相が出てるぞ? 今度こそ死んでしまうんじゃないかい?」
「ふん。 あの一件を教訓に、今は五時間は眠る様にしている。 気遣いには感謝する。」
「……ふぅ。 せめて七時間は寝たまえよ。」
理想の睡眠時間とは程遠いが、連日の彼の状態を思えば長く眠っている方である。
血の気はいつかより戻っているものの、誰の目にも健康とは呼べない姿だった。
そんな軽口が飛び交う最中──
──ガチャッ
扉が開き、グレイが凛を伴って姿を見せた。
「師匠。 遠坂さんをお連れしました。」
「先生、お疲れ様です。 また無理しすぎてないですか?」
いつも通りの口調ながら、その奥には張りつめた気迫がのぞく。
今日こそが“シリル制圧作戦”の当日なのだから。
「グレイ、感謝する。……遠坂、よく来た。 遂にこの日が来たな。」
「えぇ。 シリルの野郎をこの拳で叩き込めると思うと……震えが止まりませんよ。」
高揚と怒りが入り混じった、彼女特有の凛とした表情に、握った右拳は湯気が立ちそうな程熱を帯びていた。
「遠坂さん、まず落ち着きましょう。 師匠に作戦を共有するのが先です。」
「……そうだな。 二人とも、ソファーへ座りたまえ。 トリム、紅茶と茶菓子を頼む。」
ロード・エルメロイⅡ世の気圧された様子を横目に、ライネスが機敏に段取りを進めていく。
しばらくして──
テーブルには湯気の立つ紅茶と芋羊羹が並び、静かな作戦共有会が始まった。
「さて……グレイから受け取った作戦データを確認するが──遠坂、その紙は持っているな?」
「もちろんです。 大事な作戦会議ですからね。」
いよいよスマートフォンを操作することすら諦め、凛は完全に紙派へ移行していた。
その様子にロード・エルメロイⅡ世は小さく頷き、資料の画像データをラップトップに映した。
「では始めるぞ。 まず作戦の全体像だが─ 遠坂とセイバー陣営は川窪駅側から。 グレイとキャスター陣営は花園駅側から。 双方による挟撃で、一気にシリルを包囲する──ということだな。」
「えぇ。 花園側で暴徒達を一網打尽にしてからシリル・ファラムスの居場所へ行けば、拙達も遠坂さん達も同じ頃合いで合流するという寸法だと、キャスターが提案しました。」
「で、わたし達もその名軍師の彼女の意向に従った訳よね、グレイ。 先生、こうして束になればあのシリルも少しは苦戦する筈です!」
自信満々に語る凛に対し、彼女が発言をする度に向かいのソファーに座るグレイは紅茶にも芋羊羹にも触れることなく、視線が少しばかりか右の方向へ向いていた。
当然、内弟子のその様な異状な挙動にロード・エルメロイII世も気付かない訳がなかったが、一度彼女を泳がしてみることとした。
「……ふむ、流石キャスター。 戦況を予測してここまで細かな計算も出来るとは、掴み所がないがやはり軍師だな。」
「そうですよね。 先生の言ってた通り、彼女もそのマスターの纐纈さんも自由すぎてそこが不安ですけどね。」
こうして、作戦共有会議は十五分足らずで終わり、凛は一度自分の宿泊先で作戦決行時刻に備えて休息をとりに行こうとしていた。
「では、先生。頑張って来ます! グレイ、また後でね。」
「あぁ、是非とも気を付けたまえ。」
「遠坂さん、こちらこそ後程。」
部屋の扉が閉められたその時、ロード・エルメロイII世がグレイに静かに問う。
「グレイ。 何か隠していることがあるな?」
「ふふっ、視線が右を向いていたぞ。」
更には部屋の隅で我関せずとティータイムを嗜んでいたライネスさえ、グレイの挙動に気付いていた。
「……えっ! あの……実はこの作戦には、遠坂さんやセイバー陣営には内緒でキャスターのもう一つの狙いが……。」
グレイはこのまま隠し通すのは得策ととらず、そのまま事実を述べた。
「……なるほど。 まったく、キャスターらしい合理的というか、策士というか……。」
「しかし、場合によっては遠坂さん達も余分な体力を使うことを避けられるとも言ってました。 今は彼女の策に賭けましょう。」
「ふぅん。 そのキャスターも中々に面白そうな作戦を練るじゃないか。」
頭を抱えて溜め息を吐くロード・エルメロイII世と芋羊羹にようやく手をつけながら神妙に真実を話すグレイとは対照的に、ライネスはそのキャスターの策に思わず口角が上がっていた。
そして、今宵のシリル制圧作戦の時が、刻一刻と近づいてゆく──