夜の都心に聳えるタワーマンション。
その一室では、轡水が薄暗い部屋に灯るモニターの光に照らされ、ひたすらキーボードを叩き続けていた。
デスクには飲み終えたタピオカドリンクのカップがいくつも転がり、無機質な光が株価のグラフと執筆途中のドキュメントを交互に照らす。
まるで混沌と静寂が共存する戦場の様な光景だった。
──ガチャリ。
玄関の扉が開く音を振り返れば、散歩と陣営との夜会から帰ってきたライダーが姿を現す。
「京介、只今戻ったぞ。」
「……随分と遅かったな。 そんなに遠出していたのか?」
目線だけを向けて淡々と問う轡水に、ライダーは穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「あぁ。 散歩の途中で、今尚残る陣営達と出会ってな。」
その一言に、轡水が反射的に椅子を鳴らして立ち上がる。
「なんだと? 闘いは……いや、もう言わなくても概ね察した。 お前のことだから、どうせ話し合っただけだろう? 本当に平和な奴だな。」
「ほぉ。 私を理解した上に称賛するとは、どういう風の吹き回しか?」
「ふんっ、皮肉だ。 それくらい分かれ。」
呆れ顔のまま、轡水はウォーターサーバーから水を汲みつつ言葉を続けた。
「で、情報は? サーヴァントの顔ぶれくらいは掴めたのか?」
ライダーは頷き、同じくコップを手に床へ腰を下ろした。
「我々を除けば、セイバー、アーチャー、ランサー、キャスター──この四陣営が残っていた。」
「なるほど。 二つが既に脱落しているなら、それで五陣営。……順に話せ。」
コップを傾ける音だけが響く部屋の中、ライダーが淡々と語り出す。
「まずセイバー。 芯の通った黒髪の若き女性であった。己の理想に酔うことなく、実直な鍛錬を重ねるタイプと見た。」
「……まるでお前の鏡写しみたいだな。それで、マスターは?」
「“私市一竜”と名乗っていた。 見た目は素朴で、危うい印象の学徒だった。」
「ふん、平凡で面白味がないな。 続けろ。」
轡水はグラスを置き、ライダーに視線を戻す。
「アーチャーは、軽口を叩きながらも鋭い眼をした口髭の男。 リボルバーなるものを扱う射手らしい。」
「……ガンマンってところか。 そいつのマスターは?」
「“美穂川恵茉”と名乗っていた。 私市一竜と同じ大学の女子学徒。 肝が据わっていて、場を纏める力がある。」
「ほう、そいつは面白い。 私市とかいう奴よりは余程骨がありそうだな。」
水を飲み干しながら轡水が更に話を促す。
「次は?」
「ランサーは俊足を誇る若者。 陽気で人懐っこいが、曲がったことを嫌う潔癖な性格。 もとは戦場の指揮官で、女を戦に入れぬ主義らしい。」
「……癪に障るタイプだ。で、そのマスターは?」
「“小鳥遊亜梨沙”という内気で控えめな女性だが、向上心はある様であった。」
「ふん、また面白味に欠ける。 まだキャスター陣営が残っているな。」
ライダーはコップを傾けながら、ゆっくりとその名を出した。
「キャスターは飄々とした中性的な女性で……“PyroMind”と言えばわかるな?」
「……あの配信者か! まさかサーヴァントが顔出しでゲーム配信とはな。 軍師気取りも極まったものだ。」
「ふふ。 だがその裏にある思考は深い。 マスターの名は“纐纈士”という小柄で軽い男。 だがそれなりに鍛えており、芯の強さは侮れぬ。」
ライダーがそう語ると、空のコップをテーブルに置いた。
対して轡水は顎を摩りながら言う。
「……一癖ある相手が多いな。 だが、勝ち筋を狙うならセイバー陣営が妥当か。」
「京介、彼女の芯の強さは決して侮れぬ。 ……尤も、一度は刃を交えてみたいがな。」
水をおかわりするライダーを横目に、轡水が続ける。
「マスターが凡庸なら、どれ程のサーヴァントでも綻びは出る筈だ。 ──セイバーの真名に繋がる手掛かりは?」
「……残念ながら、確たる情報は得られなかった。 だが、人の上に立つ存在であったと推測できる。」
「会うまではわからない……まるで玉手箱だな。 だが、いずれにせよ僕達が勝つ未来に揺らぎはない。」
そう言い残し、轡水はカップをキッチンに置いて再びデスクへ戻った。
ライダーは窓際に立ち、黙って夜景を見つめる。
まだ戦火の灯らぬこの陣営も、いずれは誰かと刃を交えることになる──
その夜景は、まるで嵐の前に静止した波の様に、凍てついた光を放っていた。
夜が明け、栄植に聳える大型病院三津井記念病院。
その一角の病室では、冨楽謙匡が深い眠りに沈んでいた。
纐纈を襲撃しようとした際、ランサーの槍に貫かれ、緊急手術を終えた彼は昏睡状態のまま、白いベッドに横たわっている。
無機質な呼吸器の機械音と、輸血パックの滴る音だけが、静かな病室に響いていた。
その傍らでは、群馬から駆けつけた両親が、担当医と低い声で言葉を交わしていた。
「……そうですか。 半身不随になったのは残念ですが、息子の命に別状がないだけでも、まだ救われます。」
「はい。 出来る限りの手は尽くしました。 意識が戻り、車椅子での生活が可能になれば、お近くの病院へ転院致しましょう。」
「先生、本当にありがとうございます。 再来週にはまたお見舞いに参ります。 それまで息子を、どうかよろしくお願いします。」
話の通り、冨楽の身体には大きな後遺症が残ってしまったが、命は繋がった。
一竜、恵茉、亜梨沙、そして纐纈らによる迅速な応急処置が、彼の命を死の淵から引き戻したのである。
「謙匡……また再来週来るからね。 それまでに目を覚ますんだよ。」
「何があったのかはわからんが、俺も母さんも、お前の味方だからな。」
両親はそう言い残し、静かに病室を後にした。
残されたのは、風に揺れるカーテンと、機械の律動音。
冨楽はただ、呼吸器と輸血に繋がれたまま、微かな命の火を灯していた。
──そして、昼下がり。
面会時間を告げるアナウンスが流れる頃、病院の待合室には一人の男の姿があった。
白がかったブロンドの髪を後ろで整えた細身の男が、微笑とも侮蔑とも取れる、不敵な笑みを浮かべている。
言わずもがな、シリルである。
彼は、冨楽が襲撃に失敗し重傷を負ったと聞きつけ、宿泊先からこの三津井記念病院を訪れたらしい。
「十三番のご来訪者様、八階八〇五号室へお進みください。」
「ええ、ありがとうございます。」
受付の案内を受け、シリルは涼しい笑みを崩さずエレベーターへと乗り込む。
やがて扉が開き、無菌の白に包まれた病室に入ると──そこには、血の気の引いた冨楽の姿があった。
取り替えて間もない輸血パックの赤が、生命の名残を静かに主張している。
シリルは一瞬沈黙したが、次の瞬間には何事もなかったかの様に穏やかに微笑み、鞄から小さな包みを取り出した。
「冨楽様。 命に別状がないと聞き、流石に胸を撫で下ろしました。 こちらは、祖国自慢の紅茶とビスケットです。 目を覚ましたら、ぜひお召し上がりください。」
彼がベッド脇の棚に置いたのは、輸入品店で取り急ぎ購入した英国老舗の銘柄茶と手焼きのビスケット、そして“I hope you feel better soon.”と書かれたメッセージカードだった。
この組み合わせは、イングランドでは定番の見舞いの品の一式である。
だが、シリルの眼差しはその穏やかさとは裏腹に、冷ややかに光っていた。
「とはいえ……これでは聖杯戦争の続行も叶いませんね。 冨楽様には、まだ戦場に立っていただきたかったのですが。」
淡々と呟きながら、シリルは花束を並べていく。
これも、イングランドでは定番の見舞いの品である。
「しかし、ご安心を。 貴方が倒れても、私にはまだ“策”があります。 それも、聖杯戦争の記録に新たな一節を刻む様な、前代未聞の一手を。」
花を整え終えた彼は、鞄の中を確かめ、何かを指先で弄ぶ。
それは──盗聴器の欠片。
以前、メルヴィンに仕込まれていたものだった。
「ご覧の通り、今はもう不届き者の影もありません。 今後は言葉に頼らず、作戦は全てこのタブレットに記すことにしました。」
そう言いながら、シリルはバッグの中の端末をそっと撫でた。
今や不要不急な外出も避け、食事も全てデリバリーと、彼の生活から“隙”というものは徹底的に排除されていた。
「私の作戦は、いずれ実行の時を迎えます。 今の貴方では返事も聞けませんが……この戦い、私が引き継ぎましょう。」
彼は立ち上がり、静かに礼をして踵を返す。
その足取りは、まるで葬列の先頭を行く司祭の様に落ち着いていた。
「では、冨楽様。 どうか一刻も早い回復を。」
振り向き様に微笑を残し、シリルは病室を去る。
その背には、一片の情もなく、ただ鋭利な意思だけが宿っていた。
──次なる標的は、纐纈、そして、バーサーカーを討ち果たしたキャスターの二人。
果たして、シリルの行動は冨楽の“望み”となるのか。
答えを知るのは、未だ目覚めぬ冨楽ただ一人であった──