最悪の再会に漂う張り詰めた空気を破ったのは、やはり纐纈だった。
彼はいつも通りの軽口を、その場に似つかわしくもなく投げかける。
「……あらぁ、よっちゃん。 久しぶりぃ。 元気して……なさそうだねぇ。」
「お陰様でなッ! でも、さっきお前らの顔を見かけてから……今、血が逆流してるんだよ!」
誰の目にも明らかな程、冨楽の表情は常軌を逸していた。
共通の友人の心を傷つけ、更にはこの聖杯戦争で自らのサーヴァントを消滅に追いやった男が、冨楽の目の前にいる。
──今、この瞬間こそが、彼にとっての千載一遇の機会なのだった。
「え、あの……お兄さん。 あのかなり怒ってる人、知り合いなんですか?」
事情を知らぬ一竜が、困惑を隠さず纐纈へ問いかける。
「うん、彼はよっちゃん。 バーサーカーのマスターだった人で、俺の旧友だねぇ。」
「えっ、じゃあ……あの一連の事件の当事者!? それにしても旧友って……昔、あの人に何かされたんですか?」
恵茉の鋭い指摘に、纐纈は言葉を詰まらせた。
「……あぁ、実はこれは俺に原因があってねぇ。 ちょっと、共通の友人に……。」
「ふふ。 士、皆まで言わなくてもいいよ。」
纐纈の肩にそっと手を置いたキャスターが、柔らかく微笑んで制止した。
彼女なりの気遣い──旧友への罪を背負わせすぎぬ為の優しさだった。
「ははぁ。 奴)さんの目、揺らいでやがる。こりゃ完全に心が折れちまってるな。」
「聖杯戦争の被害者、と言えるでしょう。 哀れなことです。」
アーチャーもセイバーも、冨楽の乱れを見抜き、淡々と告げる。
だが、その言葉が彼を尚も逆上させた。
「黙れ! 黙れぇッ! 変になってるのは自分がよく分かってんだ! だけど……俺はもう、引き返せなくなったんだよォ!」
その叫びには怒気と共に、底知れぬ悲嘆が滲んでいた。
「アサシンを消滅させ、バーサーカーにそのマスターを葬らせ……挙句には暴走して半グレの店を襲った! それでも世間は……国は……俺の罪を知らねぇ! 知ってるのはヤクザと半グレだけ……ッ!」
「よっちゃん……。」
纐纈が哀しげに呟く中、冨楽はバッグの中に手を伸ばす。
やがて取り出したのは──鋭く光を弾く、重みあるダガーナイフだった。
「俺は……裁かれるべきなんだ! だからSMOKE……いっそお前を殺って、悪人になって裁かれてやるんだぁ!」
「!!!」
鋭い刃の光に、セイバー陣営とアーチャー陣営は一瞬息を呑んだ。
「え、えぇ!? えぇぇぇっ!?」
「おっと。 よっちゃんも、とうとうここまで来てしまったか。」
纐纈が取り乱す一方で、キャスターは飄々としたまま軽口を崩さない。
「(えーっと、この時どうするんだっけ? 確か、相手の手が伸びたところを、その手首を捻って、その手を掴んで相手の腕の下に潜って、そして背中に持っていくんだっけ……?)」
護身術の動画を思い出す纐纈の脳裏を遮る様に──
──パァァッ!
冨楽の左手の懐中電灯が閃光を放つ。
二千ルーメンにも至る強力な白光が、六人の視界を焼いた。
「うわぁっ! 眩しいっ!」
「くっ……士、これは流石にマズいよ!」
纐纈もキャスターも、視覚を奪われ窮地に陥った。
「お前なんかぁッ!!」
冨楽の血走った瞳が纐纈を射抜き、右手の刃が振りかぶられる──
──ズサァッ
刃が肉を穿つ、鈍い音、滴る血の匂い、目には見えずともそれらが確かにあった。
纐纈は視界を奪われたまま、自らの体をまさぐり呟いた。
「うぅっ……やられ……てない!?」
胸、首、肩……どこを探っても刺された痕跡はない。
「……僕は死んでましぇん!」
どこかで聞いた様な台詞を口走り、纐纈は尚も無傷を主張する。
やがて、全員の視界が少しずつ戻り始め──
「!!」
目の前に起きている惨状に、一竜と恵茉が狼狽え声を失った。
「……。」
セイバーとアーチャーも、同じ一点を見据え息を呑む。
「ほぉ……。」
キャスターまでもが目と口を丸くし、小さく驚いていた。
「??? どうしたの?」
仲間の視線の先を背にした纐纈は、事態を理解出来ていない。
頭の上に浮かんだ疑問符をキャスターの右手によって払われ、そのまま左手の親指で静かに指し示す方向へ振り返った、その先に──
「……えぇぇぇっ!? よっちゃんっ!?!?」
冨楽の身体を斜めに貫く、一本の槍があった。
血飛沫を背に、纐纈の声は響いた。
「……えっ、この槍って……!」
「……えぇ、見間違いはありません。」
セイバー陣営は、その槍を以前に確かに見ていた。
その最中、遠方から人影が疾風の如き速さで駆けて来る。
「SMOKEのアンちゃん! 無事か!?」
声の主は、槍の持ち主──ランサーだった。
いつになく真剣な表情を浮かべ、その額には珍しく冷や汗が滲んでいる。
「ランサー!」
纐纈をはじめ、彼を知る者達が一斉に声を上げた。
「ほぉ……こいつが、あの陽気だという槍兵)か。」
「なんだか、彼もアクティブそうだね。」
初めて対面するアーチャー陣営は、その雰囲気に呆気を取られるしかなかった。
ランサーが走り抜けて現場に到着すると、纐纈が声を掛けた。
「うん、こっちはなんともないよ。 ……それにしても、どうしてランサーが?」
「ははっ、無事でよかったぜ。 亜梨沙と一緒に歩いてたら、アンタらを見かけたんだ。 そしたら……そいつが尾けてるのが見えてな。 だから気になってオレらも後を付けてたんだ。」
実は数十分前、大型ディスカウントショップ近くで偶然ランサー陣営も居合わせていた。
しかし人混みに阻まれ、あまり近くにはいけなかった。
気が付けば先の場面となり、流石の自分の脚でも間に合わないと判断したランサーは、冨楽を止める為に槍を投げ放ったのだ。
彼は激痛に呻く冨楽へと向き直り、声を張り上げる。
「……そこの貴様! バーサーカーが消えた今、闘う必要はもうない筈だろう!」
この新制度の聖杯戦争は、旧来の様にマスター同士が殺し合う必要性はない。
事情はどうあれ、暴走した冨楽を放置することを、ランサーは決して選ばなかった。
「重傷を負わせたことは悪く思う。 だがなぁ……無抵抗の相手に刃を向けるなんて、オレが許さねぇ!」
戦を知る者にとって、武を交えるのは同じ意思を持つ者同士のみ。
戦意なき者を斬るなど、彼の矜持が許さなかった。
「……ふむ。」
「……なるほど。」
セイバーもアーチャーも、その筋の通った言葉に納得して言葉を失う。
一方、キャスターだけは面白そうに唇を緩めて見つめていた。
「ハァ……ハァ……ランサー、どうしたの? 急に走って……!」
息を切らして亜梨沙が辿り着くが、その視線の先を見た瞬間、顔色が蒼白に変わる。
「えっ……!?」
ランサーの槍が、確かに彼女の知らぬ男──冨楽の身体を貫いていた。
事情を知らぬ彼女にとって、それは信じ難い光景だった。
「あぁ……亜梨沙さん……!」
身を震わす亜梨沙に、一竜も言葉を失っていた。
「あっ、亜梨沙さん! ご無沙汰してます!」
「(……ふふっ。 士、キミって奴は……。)」
纐纈はいつもの調子で挨拶を交わし、その様子にキャスターは小さく呆れ笑いを浮かべた。
「SMOKEさん。 どうも、その節は……って、それよりランサー、どういうこと!?」
狼狽する亜梨沙に、纐纈がすぐさま慌てて弁明する。
「あぁ、えぇっと……亜梨沙さんも、この彼が僕らの後を付けてたのは見てましたよね? それで襲われかけて、ランサーが助けてくれたんです。……悪気はなかったんですよ、多分。」
「……SMOKEの言う通りだ。 けどな、辿り着いた時にはもう襲われそうになってた。 だから、こうするしかなかったんだ。」
彼としても、槍で止めることを望んだ訳ではない。
それでも、無為に人を傷付ける暴走を、放ってはおけなかったのだ。
その時──
「……怒声が聞こえたの、この辺りじゃないか?」
「おい、変な奴がいたらどうするんだよ? 無茶すんなよ。」
「だって気になるだろ?」
先程の冨楽の怒声で、野次馬の声が近づいていた。
「マズいよ! このままじゃランサーが捕まっちゃう!」
恵茉が焦りを露わにするが、ランサーには既に覚悟があった。
「……責任から逃げるのは、オレの流儀じゃねぇ。」
ところが、その場にいた誰よりも大人しい筈の亜梨沙が、静かな声で命じた。
「……ランサー、霊体化して隠れて!」
その声は震えていたが、確かに鋼の様に強い意志を孕んでいた。
ランサーが驚愕に目を見開き、続けて亜梨沙に尋ねる。
「えっ!? でもよぉ亜梨沙、オレがこの男に大怪我を負わせたのは事実だぞ? それなのに逃げるなんて……。」
「いいから! 早く!」
普段は見せぬ彼女の力強い声は、召喚以来初めての“命令”だった。
その光景に、セイバー陣営もアーチャー陣営も、そして纐纈も目を瞠る。
キャスターだけは、彼女の意思の強さに感心した様に微笑んでいた。
「ランサー、俺も助けて貰った身だしね。 亜梨沙さんの言うことを聞いたげて?」
纐纈の柔らかな説得を受け、ランサーは悔しそうに槍に手をかけ、ゆっくりと霊体へと消えていった。
「……あぁ。 亜梨沙、SMOKE……すまねぇ。」
声だけを残し、彼の姿は消えた。
その瞬間、声を張り上げた亜梨沙の全身は震え、緊張の糸が切れたかの様に動転していた。
環境がようやく落ち着きを見せると、恵茉が深く息を整えてから声を上げた。
「さぁ、まず冨楽の救命を最優先にしよう! 普通救命以上を持っている人、手を挙げて! アタシは普通救命持ってます!」
有事の場にあっても、彼女のリーダーシップは迷いなく発揮された。
それは小学校の頃から培い、大学に至るまで磨き続けてきた彼女の資質そのものだった。
「あぁ、俺も上級持ってたよ! 失効して八年は経っちゃったから、最近の心肺蘇生方法の変更まではちょっと分かんないかも!」
最初に勢いよく手を挙げたのは纐纈だった。
「あ、私も……仕事柄、上級救命を……。」
次いで意外にも、亜梨沙が小さく手を上げた。
歯科事務員という立場ながら医療の現場に近い彼女は、大学生時代に普通救命を取得し、その後今の職に就く際に上級も取っていたのである。
「おぉう、亜梨沙さん! 助かります! 僕がよっちゃんの心肺蘇生をやるんで、サポートお願いします!」
「……はい、分かりました!」
こうして、冨楽の救命は纐纈が実施し、亜梨沙がサポートに入る形で始まった。
「じゃあ、アタシが救急車を要請する! 私市くんはAEDを探してきて! コンビニに置いてある筈だから!」
「了解!」
一竜が駆け出し、恵茉はそのまま冷静にサーヴァント達へも指示を飛ばした。
「サーヴァントのみんな、人を近付けない様に周囲を守って!」
「心得ました。」
「あいよ。」
「オッケー。」
サーヴァント達が三方に分かれ壁を形成し、キャスターは蘇生に取り掛かる纐纈の肩にそっと手を置き、片目を瞑って微笑む。
こうして、四つの陣営による冨楽の救護活動が行われた。
「(いくらよっちゃんに襲われかけたとしても……死なれたら寝覚めが悪くなっちゃう! せめて、出来る限りのことをしなきゃ!)」
纐纈は無我夢中で胸骨圧迫を続け、冨楽を挟んで亜梨沙も呼吸状態を見守る。
「はい、外御神1-12の広場です。 植え込みのそばにいます。」
横では恵茉が冷静にスマートフォンで通報を続けていた。
その一方、野次馬が次第に集まり始める。
「何があったの? 見せて見せてー!」
「見てはなりませぬ。 親御様とご一緒に、どうぞ後ろへ。」
セイバーはしゃがみ込み、真剣な眼差しで子供達を静かに諭した。
『おい、どうしたんだ? 血が出てるぞ? 事件か?』
『すまねぇな。 緊急事態なんで、ちょっと近寄らないでやってくれ。』
アーチャーは英語で観光客を制止する。
『見せてくれよ! こんなの滅多にないだろ!』
『ふふ……そんなに惨劇を覗きたいのかい? では、キミが血塗れになった時も、他人にまじまじ見られて構わないんだね?』
キャスターは中国語で皮肉を返し、観光客を黙らせた。
騒然とした広場に、一際大きな影が立ち止まる。
散歩の途中に通りかかったライダーだった。
「(この国でも……やはり物騒な事案と無縁ではないか。)」
彼が静かに思索していたその時──
「美穂川さん! 亜梨沙さん! ……お兄さん! AED持ってきました!」
「ナイス! 音声が説明してくれるから、落ち着いてやってこ!」
一竜が息を切らしながら駆け戻り、纐纈がその先の手順を導く。
その姿を見たライダーは思い出していた。
──以前、茗渓町で見かけた青年、そして彼の傍らにいた只者ならぬ気配の女性。
今まさに現場を守るセイバーこそ、その人物だったのだ。
「(……なるほど。 他の者からも魔力の気配がする。 そうか、やはり……。)」
やがて救急車が到着し、救急隊員が冨楽を担架に乗せる。
「みんなでその辺を歩いていたら、血塗れでその人が倒れていました。 まだ息がありましたので、そのまま心肺蘇生に入りまして──」
恵茉は方便を交えながら冷静に状況を説明し、ランサーの存在を伏せたまま話をまとめた。
やがて救急車が走り去り、人だかりが散ってゆくと、残ったのは聖杯戦争に関わる四陣営だけとなった。
「ふぅ……みんな、本当にありがとう!」
「お姉さんもありがとうね! すっごく頼りになったよ!」
恵茉の礼に、纐纈もにこやかに頷く。
「……ランサー、もう大丈夫だよ。」
亜梨沙の言葉で、霊体化を解いたランサーが姿を現した。
「亜梨沙、みんな……何から何までありがとうな。」
明るく笑おうとしながらも、その表情には僅かな困惑が滲んでいた。
「ランサー、お前さんの行動に悪意はなかった。 だからこそ、こうして助かったんだ。 周りに恵まれて良かったな。」
「……ははっ、そうだな。 心底、感謝してるよ。」
ランサーの胸に軽く拳を当てて笑うアーチャーのやりとりに安堵の空気が流れた、その時だった。
──パチパチ
乾いた拍手の音が広場に響く。
一人の男が微笑みを浮かべながら近づいてきた。
「敵陣であろうと、人の命を救う為に手を取り合う。 実に潔い。」
優しく目を細めるその巨躯の男こそ、ライダーであった。
「(……ん? この人、どこかで……。)」
「(この男性……やはり、あの時の……!)」
一竜は記憶の断片を辿り、セイバーは確信を持って彼の顔を思い出していた。
「(わぁ……でっかいおじさん。)」
呑気な纐纈の呟きは、一先ずスルーしよう。
「──ほぉ、なるほどね。」
唯一気圧されなかったキャスターが、何かを察した様にライダーの前へ歩み出る。
「キミもサーヴァントだね? クラスは……差し詰め、ライダーかな。」
「!!」
その言葉に全員が息を呑む。
「ふむ……見抜くか。 いかにも、私がサーヴァント──ライダーである。」
こうして残る五陣営が、ついに顔を揃えた。
その場の空気は、今までにない程重く張り詰めていた──