例に違わず、栄植(さかえ)の喧騒の街中(まちなか)──

キャスター陣営が大会に参加していた一角とは別のゲームセンターで遊び終えた冨楽は、クレーンゲームで獲得した景品を片手に、ゆるやかな足取りで街を歩いていた。

「(……はは、クレーンゲームだけで三千五百円も使っちゃったなぁ。 まあ、音ゲーで自己ベストも更新出来たし、今日はいい日だったな。)」

その顔には安堵の色が浮かんでいたが──ほんの数日前までの惨劇を思えば、それはあまりに儚い幻影でしかない。

シリルによって聖杯戦争に巻き込まれたあの日から、冨楽の人生は一変していた。

バーサーカーの飽くなき食欲による消耗、アサシン陣営を討ち取ったことで加速した戦局の歪み、半グレ組織のぼったくり居酒屋を巡る襲撃の連鎖。

そして、過去に共通の友人の心を傷つけてしまった纐纈(くくり)のいるキャスター陣営によってバーサーカーが消滅されたこと。

気が付けば、古井戸組や半グレ共に狙われる、追われの身となっていた。

「(……これくらいの休息があっても罰は当たらないよな。 でも──どうせ反社共に見つかれば、どこかで袋叩きにされて終わる。 なら……せめて、あいつを……SMOKEを……!)」

息抜きで揺らいだ決意は、それでも決して消えはしなかった。

人の道を外れ、間接的に猪狩の命を奪い、襲撃事件で多くの人々に恐怖を振り撒いたこと。

その罪は、どれ程逃げても拭えはしない。

ならばせめて、無為に生き永らえるのではなく、自ら悪人として裁かれるに足る舞台を──自分なりの”ケジメ”を──

その為に、彼は憎き纐纈(くくり)を狙うことを選んだ。

SMOKE(あいつ)にも……大事な家族や仲間がいる。 何かあったら、悲しむ人達がいるのも分かってる。 ……でも、猪狩晶真(あのヤクザの男)を手にかけた時点で、俺はもう……。)」

最早、冨楽の理屈は只の自己正当化などではなかった。

それは罪を背負った者にしか辿り着けぬ、決壊寸前の信念である。

だが、それでも──心のどこかで、纐纈(くくり)とは会いたくないと願っている自分がいた。

複雑な感情を胸に抱き、冨楽が大型ディスカウントショップの前で足を止めた、その時──

「ふふ、この“ニコニコスペシャル”はクリームもカスタードもアイスも一緒に食べられて最高だね。」

「おぉう、良いねぇ! 俺も“バナナチョコクッキーアイス”なんて初めてだけど……たまにはこんなチートデイも悪くないかな!」

耳に届いた楽しげな声に視線を向ければ、クレープ屋の前でキャスター陣営が、巨大なクレープを頬張っている。

「(……SMOKE!? よりによってこんな人混みで……!)」

冨楽の手が震え、心臓も途轍もない動悸を覚えた。

だが、人通りの中で纐纈(くくり)に刃を向ける程の覚悟は、彼にはまだなかった。

恨みとケジメの狭間に揺れる彼の胸には、消しきれぬ葛藤が燻っていた。

「そういえば、裏道にも良さげなスイーツのお店があるよ。 行ってみちゃおうよ!」

「ふふ、それは楽しみだね。 今日の大会の祝勝会も兼ねて……今日は“スイーツ記念日”といこうか。」

纐纈(くくり)の提案に、二人は軽快なスキップでも始めそうな足取りで歩みを進める。

「(……裏道、だと!? ここまで来たら……もう行くしかない!)」

冨楽もまた、遠巻きからその背を追った。

後方から迫る命の気配に、纐纈(くくり)もキャスターも、まだ気付くことはなかった。

一方その頃──

セイバー陣営とアーチャー陣営は買い物を終え、裏道に広がる人気(ひとけ)のない広場近くで腰を下ろしていた。

一竜の腕にはセイバーが選んだ数個のボードゲーム、アーチャーの手にはロードバイクのカスタムパーツと、それぞれが本日の戦利品として重みを確かに感じていた。

「一竜殿、本日は誠に有意義なひと時で御座いましたね。」

「はは……そうだな。 でも久しぶりにいっぱい歩き回ったから、正直もう脚が棒だよ。」

楽しさの余韻に浸るセイバーに対し、一竜は疲れを隠せず苦笑を浮かべた。

「分かるぜ、一竜。 俺のカスタムパーツ(こいつ)も意外と重くてな。 持ち歩くだけでトレーニングしてる気分だよ。」

アーチャーは肩を竦めて言うが、その声には疲労の色はなく、寧ろそれすら楽しんでいるかの様な響きがあった。

「それに、今ならここには人目もないし、少しくらい腰を据えて話すのに丁度良いかもね。」

恵茉の言葉の裏にある意図は、勿論”聖杯戦争”の今後についてである。

誰が聞き耳を立てているか分からない人前で語るより、今こそがベストタイミングと言えよう。

「いつになったら、戦いは再び動き出すんだろうねぇ?」

「……出来ることなら考えたくはないよ。 でも、そろそろ避けては通れないんだろうな。」

互いに未だ本格的な戦場に立っていない一竜と恵茉は、苦笑を交わしながら現状を語る。

しかし、その横で緑茶のペットボトルを手にしたセイバーが、静かに声を落とした。

「一竜殿のお気持ちも理解致します。 されど、これは戦。 いずれアーチャーと刃を交えることも──避けられぬ運命かもしれませぬ。」

セイバーの毅然とした声音に対し、アーチャーが口角を上げ、少し砕けた調子で返した。

「おいおい、俺は正直セイバーとは闘いたくねぇよ。 あの時の模擬戦……あの飲み込みの速さと斬撃の鋭さ、どんなに銃を撃とうが突破されたらどうしようもなかった。 勝ち目なんざ、まるで見えなかったからな。」

思い出すのはかつての模擬戦で、跳弾テクニックを見破られ、潜り込まれ、寸止めを許したあの瞬間──アーチャーにとっても鮮烈な記憶だった。

本当(ほんと)、あの時のセイバーはアクション映画みたいで格好良かったよね! でも、もしアタシ達も魔術を使ってたら……結果は少し違ったのかな?」

恵茉が目を輝かせると、セイバーは小さく頭を下げる。

「恵茉殿、お褒めに与り光栄に存じます。」

戦闘センスに心を動かされたのは恵茉も同じだった。

だが、あの時は双方とも簡易魔術を使っていない。

故に、彼らがどの様な魔術を継承しているのか──互いにまだ知らぬままだった。

静かな裏道の広場で、四人の語らいが少しずつ熱を帯び始めた、その時──

「……それにしてもキャスター、会場で入ってきたスポンサー契約とか、プロゲーマー団体のお誘い……どれも断っちゃうのは、やっぱり勿体ない気もするケドねぇ。」

「ふふふ、仕方ないさ。 私は聖杯戦争が終われば、いずれにせよ消える身。 今ついている三つのスポンサーで充分だよ。」

不意に耳に届いた声に視線を向けると、呑気に語り合いながら歩むキャスター陣営の姿があった。

「……あれ? あのお洒落なお姉さん、どこかで見覚えが……。」

一竜がキャスターを見つめ、何かを思い出そうとした。

目深に被ったキャップ、そこに覗く端正な顔立ち、そして右に流れる赤いメッシュの入った髪。

「……ねぇ! あの人、PyroMindじゃない!? 見た目も声も……間違いないよ!」

先に気付いたのは恵茉だった。

「むむっ、彼女がかの有名な……!」

一竜と共に動画を覗いたことのあるセイバーも、遅れて確信を得る。

「あぁ、確かにPyroMindだ!」

「おぉ、ネットで見る姿そのまんだな!」

四人全員の視線が、彼女へと釘付けになった瞬間──

「──おっ。 ふふふ……。」

キャスターは立ち止まり、余裕の笑みを浮かべた。

「? キャスター、どうしたの?」

問いかける纐纈(くくり)を後ろに従えながら、キャスターは四人へ歩み寄っていく。

その笑みは只ファンに声を掛けられた者のものではなかった。

まるで──何かを悟り取った者の表情であった。

「……え!? こっちに来てないか!?」

一竜は、近づいてくる超有名ゲーム配信者に驚きを隠せなかった。

「私には分かります。 あの眼差し──戦を知る者の顔です。」

「……あぁ、サムネイル通りの余裕ぶりだな。 どう見ても只者(ただもん)じゃねぇ。」

セイバーとアーチャーは、只の配信者にはない“異質”を既に嗅ぎ取っていた。

気が付けばキャスターと、その後ろに遅れてきた纐纈(くくり)が、四人の前に立ち止まる。

「ふふふ。 どうやら私の話をしていたみたいだね。」

冷静に斜めに構えた声は、まさしく彼女の配信そのままの調子だった。

「あっ、失礼しました! PyroMind……さん、ですよね?」

「そう、私がPyroMindさ。」

恵茉の問いかけに、キャスターは涼やかな笑みで応える。

その瞬間、有名人を目の前にした一竜も恵茉も、息を呑んだ。

だが次の言葉が、更に彼らを凍りつかせる。

「……と言いたいところだけど、キミ達にはこちらの自己紹介の方がしっくりくるかな。」

「……え?」

細められた双眸が冷たく光る。

彼女は腰に手を当て、名を告げた。

「サーヴァント──キャスター。」

「!!」

衝撃は四人全員の胸を撃ち抜いた。

超有名配信者がサーヴァントだなど、誰が想像出来たであろうか。

しかも驚いていたのは、マスターである纐纈(くくり)も同じだった。

「んえっ!? ちょっ、キャスター!? この人達、同じ聖杯戦争の参加者ってもう分かっちゃったの!?」

「その通りさ、(つかさ)。 サーヴァントの二人の魔力の気配にはすぐ気付いたよ。 後は──私の“ちょっとした能力”でね。」

それ以上は語らないが、強力な魔力を持つキャスターにとって、サーヴァントや魔術師、そして魔力を分け与えられた代理マスターの存在を読み取ることなど、容易いことだった。

セイバーとアーチャーは即座に構えを取り、空気が張り詰める。

「あっ! あぁっ!! 待って待って! 今プライベートだからさぁ! 闘う気はないって! ……ねぇ、キャスター!」

慌てて纐纈(くくり)がキャスターを庇い、両手を前に出して止めに入る。

だが彼女はその肩に軽く手を置き、余裕の笑みを崩さぬまま告げた。

「ふふふ、その通りだよ。 私は只、キミ達が闘っていないことに興味があっただけさ。」

「あぁ……確かに。 ここんとこ平和すぎて、忘れかけてたわ。」

敵意がないと察すると、アーチャーは創り出した銃を静かに消す。

一竜も事情を説明しようとした。

「あぁ……オレとそこの美穂川さんは大学の同級生で……まぁ、境遇が似てるっていうか。 今日は気分転換で──」

説明が難しいのか、言葉を並べすぎて支離滅裂になるのは、一竜の悪い癖だった。

「ははぁ、大学生さんね! 道理で初々しいと思ったら。 聖杯戦争なんて、何をどうしたらいいか分かんないよねぇ。 俺だってまだ正直よーく分かんないし!」

纐纈(くくり)の軽すぎるいつもの調子に、四人は揃って拍子抜けした。

「……なんか、キャスターのマスターの人って本当にノリが軽いね。 悪い人じゃなさそうだし、前に凜さんから聞いた通りだよ。」

「そうだね……あんな調子なら、今すぐ戦闘にはならなそうだし。」

その末、一竜と恵茉小声で耳打ちし合う。

奇妙な三陣営の邂逅は、一時だけ平和を保っているかに見えたその時──

「おい! SMOKE!!」

静寂を裂く怒声が、広場に響き渡った。

セイバーとアーチャーの瞳が鋭く光り、一竜と恵茉は思わず身を竦ませる。

キャスターと纐纈(くくり)は、声の主をすぐに理解していた。

「ゲゲッ、その声は……!」

「ふふふ、そうだろうね。」

現れたのは──冨楽謙匡。

周囲に一般人の姿はなく、ここは聖杯戦争の舞台に相応しいある種の“密室”と化している。

血の匂いを孕んだ最悪の再会が、幕を開けようとしていた──