ライダー陣営との激闘を辛うじて切り抜けたキャスター陣営は、そのまま旧古井戸組の施設へと保護されていた。
下水道を経由した代償は大きく、全身を覆うヘドロの臭気と汚れは流石の二人でも看過できるものではなかった。
そんなこともあり、古井戸元組長が二人に浴室を提供し、衣類も洗濯することとした。
先に入浴を済ませた纐纈は、急遽元構成員達が買い揃えてきたコンビニの衣類へと着替え、客間で古井戸元組長と向かい合っていた。
卓上にある湯気の立つコーヒーが、戦場から戻ったばかりとは思えぬ穏やかな空気を流し、元組長が煙草に火をつけていた。
「なるほどな……。 お前さんらの連携で仕留め切れなかったってんなら、相当だぞ。」
「そうなんですよぉ。 自然そのものを利用してくる戦い方なんて、今まで会った連中の中でもかなり特殊でしたし。」
纐纈が肩を竦めて話す程に、思い返すだけでも厄介だった。
木々を足場とし、大地さえ己の武器として扱う王──あれは間違いなく歴戦の英雄だった。
それでも纐纈は笑いながら、カップを持ち上げて語った。
「まぁっ、結果だけ見れば悪いことばっかりじゃなかったですケドね。 キャスターが真名を看破できたみたいですし。」
撤退は敗北ではない。
生き残り、情報を持ち帰った──それだけでも大きな成果だった。
「本当に前向きだなぁ、お前さん。」
元組長は呆れ半分に笑い、紫煙を燻らす。
「大和公園からここまで近かったからよかったが、次からはもう少し普通の移動方法を選んで来てくれ。」
「あ、それは多分無理です。 看板下ろしたとはいえ、暴対法の関係でみなさんまだ色々大変ですし、お巡りさんにもなに言われるかわかりませんし。」
「まぁ、そりゃそうだな! 本来なら、関わること自体が珍しいんだ。」
二人は笑いながら語らっているが、暴力団離脱者には長い制約期間がある。
真っ当な道へ戻ろうとしても、現実はそう簡単ではない。
だからこそ彼らは今、新しい事業を立ち上げようとしていた。
そんな雑談の最中、客間の扉が開かれ、若い女性が顔を覗かせた。
「社長。 お姉さん用の下着と着替え、買って来ました。」
「二人分の靴も買ってあります。」
「おう、ご苦労。 姉ちゃんに渡してやってくれ。」
「はいっ。」
元組長は親指で浴場の方向を示し、二人はそのまま浴場へ向かう。
その背中を見送りながら、纐纈が尋ねた。
「そういえば組長さん。 あのお姉さん達って、元構成員だったんです?」
「あぁ。 この前の梨園町暴動事件で情報を流してくれた子達だ。」
そう、シリルの件で協力してくれた女性達だった。
「報酬をくれてやったんだが、それでも就職先に困ってたからな。 だったら新規事業ついでにうちで雇おうと思った。」
情報提供への礼、そして人生を立て直す機会、それが今の事業参画への繋がりだった。
しばらくして、再び扉が開く。
「やぁ、士。 お待たせ。」
「キャスター! お互い綺麗にして貰えてよかったねぇ。」
柔らかな声と共に現れたのはキャスターだった。
一時的な部屋着姿の肩にかけたタオルで、まだ湿った髪を拭きながら微笑む。
「浴場を貸していただき感謝するよ、元組長。」
「僕からも、本当にありがとうございます。」
「おう。 こっちにも返し切れてない義理があるしな。」
その視線が少しだけ遠くを見る。
聖杯戦争で命を落とした子分、猪狩晶真──そして現代に帰って来たギャングの帝王、アサシン。
その命を奪った仇であるバーサーカーを結果的にも討ったキャスター陣営への恩義は、今も消えていなかった。
その話を聞きながら、キャスターは静かに纐纈が座るソファの隣へ腰を下ろした。
その様子を、先程の女性達が少し離れた場所から見ていた。
「やっぱり綺麗だよね……。」
「だって、本物のPyroMindさんなんでしょ?」
声を潜めているつもりなのだろうが、全部聞こえている。
キャスターは軽く笑いながら肩を竦めた。
それからしばらくして、客間に流れていた穏やかな空気の中、古井戸元組長がふと思い出した様に紫煙を燻らせながら口を開いた。
「そういや姉ちゃん。 相手の真名を見抜いたって話だったな。」
「ふふふ。その通りだよ。」
キャスターが楽しげに笑い、指を一本ずつ立てて語り出した。
「王として自ら戦場へ立っていたこと。 海を渡る戦争を経験していたこと。 時折見せる、右手を前へ差し出す独特の仕草。 そして──大地そのものを乗騎として扱う先天的な特性──それらの断片を繋ぎ合わせた結果、辿り着いた答えさ。」
まるでパズルの最後の一片を嵌め込む様な口調だった。
「当たり前の様に言ってるケド、それにしたって凄すぎない?」
纐纈が身を乗り出して口を開き、純粋な疑問をぶつけた。
「ずっと気になってたんだけどさぁ、キャスタークラスにそんなスキルなんてあったっけ?」
「あぁ。 これはクラススキルではないよ。 まぁっ、種明かしは近い内にキミだけに話そう。」
キャスターは悪戯っぽく片目を細め、真実を隠し通した。
「えぇっ、そこまで言ってお預けなの!? 気になるんだけど!?」
「ふふふ。」
キャスターは楽しそうに笑うだけで、結局彼女の真名看破の秘密は今回も明かされない。
だが、少なくともその力が纐纈を破滅へ導くものではないことだけは確かだった。
そんな折、ノックの後に客間の扉が開く。
「おやっさ……社長! 纐纈さんの服、洗濯と乾燥終わりました!」
「ウチも、お姉さんの方も大丈夫ですよ。」
元構成員によって纐纈の、新入りのもう一人の女性によってキャスターのそれぞれの洗濯済みの衣服が手渡された。
「おう、ご苦労。」
「みなさん、何から何までありがとうございます!」
回収された衣類は、ヘドロ臭を消すため徹底的な処置が施されていた。
熱湯に酸素系漂白剤、そして念入りな洗浄──流石に新品同様とはいかず、幾分か色褪せも見られるが、あの下水道の臭気はほとんど消えていた。
「これは助かるね。 流石にあの匂いのままでは帰れないから。」
キャスターも、彼らの手厚い処置に感心の気持ちを表した。
やがて二人は元の服へ着替え終えた後、敷地の正門まで見送りを受ける。
「悪いな。 車はもう処分してしまったから送り出せん。」
「とんでもない! ここまで助けて貰っただけでも充分以上ですよ!」
「私からも礼を言おう。 今回は本当に助かったよ。」
度重なる保護に、二人は謝礼の言葉を元組長へ交わした
「気を付けて帰りな。」
元組長の言葉を背に、二人は花園駅へと歩き始めた。
しばらく歩いたところで、纐纈がぽつりと口を開いた。
「そうだ。 今回の件、一竜くん達にも話しておいた方がいいかな? 情報交換くらいにはなるかもしれないし。」
その言葉に、キャスターは少し考えてから答えた。
「悪くない案だね。」
そして、すぐに首を横へ振って続けた。
「でも、手合わせした事実と抽象的な戦法だけで充分さ。」
きょとんとキャスターを見渡す纐纈をよそに、彼女は前を見たまま続ける。
「彼らとは仲が良い──それは事実さ。けれど、私達は聖杯戦争の参加者でもある。 有益な情報を与えることは、時に相手を利する。そしてそれは、自分の敗因にもなる。 戦争とは、複雑なのさ。」
纐纈も少し考えながらも、納得した様に喉を唸らせた。
「ふふふ。 尤も、私もセイバーとは全力で刃を交えたいと思っている。 真剣に、互いを認める為にね。」
キャスターは軽く笑ったが、その瞳には確かな戦意が宿っていた。
共闘した友であり、いずれ対立する敵でもある。
そんな奇妙な関係を抱えながら、二人は静かに駅への道を歩いていくのだった──
一方その頃──
地方都市にある総合体育館では、叡光大学剣道部が冬の全国大会出場を懸けた地方大会へ臨んでいた。
試合は順調そのもので、選手達は一回戦から勝利を重ね、ついに決勝戦を目前に控えていた。
観客席の一角の関係者用エリアでは、冴島教授とセイバー、そして学内アルバイトでサポートに来た一竜が試合会場を見下ろしている。
「いよいよ決勝ですね。ここまで来られたのも、井上さんのお陰です。」
冴島教授が笑顔をセイバーに向け、感謝の気持ちを伝えた。
「光栄です。 尤も、これも彼らの努力と学びによる賜物です。 私は少しばかり背中を押したに過ぎません。」
真っ直ぐ試合場へ向けてそう言いながらも、彼女の表情には誇らしさが滲んでいた。
聖杯戦争の終盤が近付いている──つまり、この非常勤コーチとしての日々も、終わりが近いということである。
だからこそ、これまで指導してきた部員達の成長を目に焼き付けられる今この瞬間は、何より尊いものだった。
そんな彼女を見ながら一竜もどこか満足げに微笑んでいた、その時だった──
──ブルルッ
シャツの胸ポケットのスマートフォンが震える。
「私市くん、まだ決勝戦まで時間あるし、今の内に通知を確認してもいいよ。」
「先生、ありがとうございます。」
冴島教授の許しを得てスマートフォンを起動させた一竜は、通知にあったROPEの送り先に思わず目を見開く。
その送り主は、纐纈だった。
「纐纈さん? 珍しいな……。」
軽い挨拶文から始まっていた為、最初は雑談かと思った。
しかし、メッセージを読み進めた瞬間、その予想は吹き飛ぶ。
『やぁ一竜くん、お疲れ様!
今日、キャスターと一緒に散歩してたらライダー陣営と遭遇したよ!
ライダーは相変わらずだったけど、マスターのひすいさんって人がかなりキッツい性格だったw
あとライダーは槍使いで、地形利用がかなり厄介!
キャスターと俺は無事撤退したから安心してね!
返事はスタンプだけでも大丈夫!』
雑談にしては重大な内容で、情報共有にしてはあまりにもあっけらかんとしていた
「……いや、そこはもっと重く書いてくださいよ。」
一竜は思わず小声で突っ込んだ。
それでも書かれている情報の価値は大きく、一竜はすぐ冴島教授へ向き直った。
「先生、度々すみません。 三分だけ、直さんと話してきてもいいですか?」
「あぁ。 試合開始までまだ十分以上あるから、今の内に行っておいで。」
セイバーも既に察していた。
一竜が自分を呼ぶ理由など一つしかない。
「直さん、少し。」
「承知。」
二人は静かに席を立ち、人通りの少ないコンコースへと移動した。
フライヤーラックの脇で周囲に人がいないことを確認すると、一竜はメッセージの内容を見せ、セイバーは一読して頷く。
「成る程。 文面は非常に砕けていますが、得られる情報は決して少なくありませんね。」
「だよな。 キャスター陣営が撤退を選ぶ程の相手だったし、それだけでも充分危険だ。」
セイバーの瞳が静かに細まり、何かを思い出した様に口を開いた。
「やはり、以前感じた気配に偽りはありませんでした。」
奇妙な夜会より前に、一度だけライダーとすれ違ったあの時から感じていた。
異様に落ち着いた空気、散歩での歩きすら隙がなく、周囲をよく見渡した視野、どれを取っても尋常な戦士ではなかった。
「俊足と連携で戦場を制圧するランサー。 策謀と分析で盤面を支配するキャスター。 そして自然を味方につけるライダー。 誰一人として油断できません。」
ランサーとは模擬戦で、キャスターとはシリル制圧の最中で、それぞれの力量も見ている。
残る未知であるライダーこそが、最も危険だった。
真剣に状況を整理するセイバーに、一竜が真っ直ぐ彼女を見て語りかける。
「セイバー。 どんな相手でも、どんな戦いになっても、俺達は勝とう。」
その言葉に、セイバーは力強く頷きながら右手を差し出した。
「えぇ、勿論です。 一竜殿、私も全力を尽くしましょう。」
握られた手には確かな熱があった。
互いを信じる熱──そして、近付く決戦へ向けた覚悟の熱が。
「よし、戻ろう。 決勝戦、見届けないとな。」
笑いながら語る一竜の言葉に、セイバーの表情が柔らかくなる。
「えぇ。 彼らの勇姿を最後まで見届けねば、それでは恩知らずになってしまいますから。」
二人は剣道部の待つ控えエリアへ再び踵を返した。
その先に待つ聖杯戦争の終局へ向けて、少しだけ大きくなった背中を並べながら──
一方、宝仙区の一角──
夏の陽光が街路を白く照らしていた。
この日の業務を終えた亜梨沙は、ペットボトルの麦茶を片手に帰路を歩いていた。
仕事は滞りなく終わり、特に大きなトラブルもなく、平穏な一日だった。
だからこそ、彼女はほんの少しだけ気を緩めていたその時だった。
──ブルルッ
ポケットの中でスマートフォンが震え、足を遅めた。
「……あれ? 誰だろう……?」
亜梨沙はスマートフォンを起動させ、表示された名前を見て首を傾げる。
「SMOKEさん?」
やはり、纐纈からのROPEだった。
珍しいと思いながらメッセージを開いた次の瞬間、彼女の表情が強張った。
「……えっ。」
麦茶を持つ手が僅かに止まる。
内容を最後まで読み終える頃には、先程までの穏やかな気持ちはどこかへ消えていた。
亜梨沙はスマートフォンをポケットへ仕舞い、そしてそのまま歩調を速めた。
まるで何かに急かされる様に、真っ直ぐ自宅へ向かう。
やがて玄関を開け、靴を脱いでそのまま小走りでリビングへと駆け寄った。
「ランサー、ただいま!」
「おう! 亜梨沙、お疲れさん!」
リビングでは、ランニングを終えて汗を流したばかりのランサーが、電気ケトルを使って湯を沸かしていた。
どうやらインスタントコーヒーを淹れる途中だったらしい。
アーチャー程の拘りはないが、やはり彼の影響を少なからず受けているのだろう。
「そんな慌ててどうしたんだ?」
ランサーが口角を上げながらも首を傾げ、亜梨沙は無言でスマートフォンを差し出した。
「まず、これ見て。」
ランサーは、コーヒーカップを置いてメッセージへ目を通す。
『亜梨沙さん、お疲れ様です!
今日、キャスターと一緒に散歩してたらライダー陣営と遭遇しました!
ライダーは相変わらずでしたケド、マスターのひすいさんって人がかなりキッツい性格でしたw
あとライダーは槍使いで、地形利用がかなり厄介です!
キャスターと僕は無事撤退したんでご安心を!
返事はスタンプだけでも大丈夫です!』
やはり、ほぼ同時刻で一竜へ送られた内容と同様の物だった。
「はっはっは!」
内容を読み終えると、ランサーは思い切り笑った。
「相変わらずだなぁ、SMOKEの奴! 重大な内容なのに、文章が軽いぜ!」
亜梨沙は呆れ半分で肩を落とした。
「まぁ、笑いたい気持ちも分かるけど……。」
良くも悪くも纐纈らしい文章だった。
戦闘報告なのか雑談なのか分からないが、だからこそ逆に本当のことなのだと分かる。
それでも、亜梨沙は真面目な表情に戻った。
「でも、内容は大事だよ。キャスターと接戦した相手なんだよ? しかも同じ槍使い。 ランサーならどう戦うの?」
問いかけながら、彼女自身も自分の胸の内にある感情に気付いていた。
聖杯戦争が終わりへ近付いていること。
どの結末を迎えようとも、ランサーとの別れが少しずつ近付いている。
ランサーはそんな亜梨沙の顔を見て、インスタントコーヒーの顆粒をカップへ入れながら優しく笑った。
「確かに厄介かもしれねぇな。 策士のキャスターとやり合って無事だったってんなら、本物だ。」
亜梨沙の顔は、やはり不安に駆られていた。
「でもよ、亜梨沙。 オレのクラス、忘れた訳じゃねぇよな?」
「えっ?」
するとランサーは自信満々な笑顔で、親指を自らに向ける。
「槍兵だぜ?」
その妙に力強い一言は、理屈ではなく戦場を駆け抜けてきた英雄の自信だった。
そのままランサーは、真っ直ぐ亜梨沙を見て続けた。
「槍で遅れを取るなんて考えられねぇ! ライダーがどれだけ強くても関係ねぇ! それに、亜梨沙はオレが守る! 絶対にな!」
迷いのないその言葉に、亜梨沙の胸の奥が少しだけ軽くなった。
「……ありがとう。」
不安が消えた訳ではないし、ライダーがどれほど強いのかも分からない。
これから先に何が待っているのかも分からない。
それでも、微笑んで感謝の気持ちを伝えることはできた。
ランサーは大きく頷き、何事もなかったかの様に湯を注いだ。
「よし、話は終わり! コーヒー飲もうぜ!」
「ふふっ。」
いつも通りの立ち振る舞いに、亜梨沙は思わず笑みが零れる。
終わりは近付いている──それは間違いない。
だが、その時まではこの時間を大切にしよう。
そう思いながら、亜梨沙はランサーの隣へ腰を下ろしたのだった──